前回のブログで「自分の頑張りを無碍に扱われる事への悲しみ」が記憶として残っているらしいと書いた
それはこんな記憶
幼稚園時代の話
私は外で遊ぶより室内で絵本を読んだり
ピアノを弾いたりする方が好きだったので
あまり外で遊んだ記憶が無い
極端に大人しい子供だった訳じゃないけど
まあ怒られた事は1回も無かった
そんな私がある日
園庭に設置されている水道(手足の洗い場的な)の
排水口が何かで詰まっているのを見つけた
こりゃ大変!
詰まってるのが取れなきゃみんなが困る!
そう思った私は他の子2、3人に手伝ってもらって一生懸命掃除した
何がどうなっていたのかは覚えていないけど
無我夢中で一心不乱に掃除をした、その「頑張るぞ!綺麗になったら絶対先生が喜んでくれる!」っていう心持ちは思い出せる
しばらくすると頭上から「何をしてるの?!もうみんなお部屋に入っていますよ!」と声がした
見上げるとそこには大好きな担任の先生が怖い顔をして立っていた
見渡すと確かに園庭には誰もいなくて
他の子達は部屋に入って椅子に座っていた
私は水遊びをしていると思われたのだった
子供ながらに誤解されている事は理解出来たものの、解くまでは出来ず。。。
先生が大好きだったから余計ショックだったんだよなあ
誰しも子供時代には、そういう悲しい思いをした経験があるとは思うけど
まさかこんな年まで影響があるとはねー!!
それでも、自分にはこういうパターン(頑張った事を無碍に扱われる原体験的な事→敏感になる)があると認識できた事はめっけもんでした
初めて煮た小豆は固かった💦💦