「繊細」と言えば私が思いつくのは


大きい声が苦手で恐怖を感じる とか

自分の枕じゃないと安眠出来ない とか

そういう身体的な反応の事ばかりだった


繊細という言葉が結構身近にある割には

自分には無関係だと思ってた


大きい声は確かに不愉快だけどそこまで動揺しないし、どこででも寝れちゃうし

ちょっとくらい散らかってても平気だったり

色んな動作も割と大雑把な私だから


だけど、去年の11月だったかな

職場で私のミスを指摘された時、ものすごい勢いの「憤怒」という反応にとても苦しみ

その時は時間の経過に任せるしか回復は出来なかったんだけど


年末になってまた職場で不愉快な思いをしたの


どうして私はここまで不愉快なんだろうと思いを巡らせたら

どうやら「自分の頑張った事を無碍にあしらわれる」事に異様に悲しみを覚えるという事に気づいた


これについては思い出せる幼少時のエピソードがあるんだけど、それは別の機会に書くとして


そう、何が大事かというと

私の不愉快や悲しみは現実であって現実じゃないという事なの

感じた事は事実だけど、相手の言動が「私の想定するような」叱責や攻撃ではないという事

面と向かって「それは〜という意味ですか?」と直ちに確認をすれば1番手っ取り早いけど

反応が起こっている時は難しいし

かえって不穏な空気を濃くする事になるから


私の感じた事を肯定しながら

相手の言う事は「私が想像している事実じゃない」と認識する事って

精神上すごく有意義だと気づいた


よく考えたら、言ってきた人は私に悪意がある訳ではない、それはその後の他愛無い会話を何度となくする事でも理解出来る

相手は単に自分の都合を言いたい表現で私に訴えただけで私には落ち度は無い


だけどその時の相手の苛立ちを何故かものすごくリアルに吸い取ってしまうから

私も瞬時に反応してしまうのよ


そっかーーこの反応が繊細って事なのねと


相手はそういうつもりが無くても

拾わなくてもいい感情やら雰囲気まで取り込んでしまって自分を攻撃するんだよなあ


攻撃ってつまり怒るって事なんだけど


怒りがどれほどダメージがあるのかよーく分かっていたから(ダメージって攻撃されたら生じるでしょ)

今回は「お?これはまたキタか?」と

心で受け取る前に手の平に乗せて見つめてみたら


なるほどね〜!となったって訳

そのプロセスを書いてみました


仕事場はお年賀のお菓子ばっかり

誘惑がいっぱーーい