振り返るに
悲しいと感じる時も
嬉しいと感じる時も
いつも「友達」というファクターがあるんだよな
激しい対極の感情に揺さぶられる時って
必ず 「友達」っていう括り?がある
括り っていうか ネックっていうか
例えば もしも「私はダメな人間です 何かが出来ないと愛される価値が全然ありません」って前提で生きてるとして
これ 誰に対して 感じてるの?って 対象的な要素を探してみると
親や夫じゃないんだよな私
「友達」(時には先生とか上司だったりもする)なのだ
って所までは 分かった
でも 何故そうであるのかは分からなくて
たびたび 痛い思いをするので
もういい加減 手放したいのでございます!!
そりゃ嬉しい時は「嬉しい!」で済むけど
逆は 落ちまくるから 苦しすぎるのだ
いくら陰陽は世の常とはいえ
私はそこら辺 もっとフラットにしたいのだ
来れた!良かった〜💦