1月に鶴岡八幡宮の歴史巡りをするはずが行き先を間違えw


  


今回はそのリベンジへ行ってきました。

偶然にも全部9のつく日。


初めに茅ヶ崎市本社宮

この日は鳥居としめ縄の白が空の白さと重なって、真っ白に見えました🕊
おさらい
源頼義が、石清水八幡宮を勧請して懐島八幡宮とし、勝戦祈願したのが始まり。

この懐島八幡宮を鎌倉の元八幡(由比若宮)へ勧請し、その後現在の鶴岡八幡宮へ勧請されました。

この地にあった懐島八幡宮は、現在の鶴嶺八幡宮へ遷宮され、この場所は本社宮と改称されて、矢畑村の鎮守となりました。

鶴岡八幡宮の原点はここ本社宮

5日の雪がまだ残っていました☃
積もると交通麻痺や事故あるので困る事ではあるけど、日頃見ない景色にワクワクもしちゃう☃✨

そして次に
茅ヶ崎市円蔵神明大神宮
こちらの神社には、鶴嶺八幡宮にある霊石の兄弟石があります。
本社宮から🚗で5分ちょっと。
神社の反対側に🚗2台分の参拝者🅿ありました。
住宅街の中にある神社でした。
一見地域の小さな神社と思いきや、歴史がぎっしり詰まっていました✨
お顔はちょっと違うけど、毛並みのモリモリの形が森戸大明神の狛犬さんに似てる〜と思いました✨
足元にいる子供のコマさんが強そう
境内案内図
拝殿の左手奥が見どころいっぱいでした✨
御祭神
天照大神
こちらの彫刻が気なる〜
天狗?役小角?なんだろ〜?
神明大神宮の周辺は、かつて大庭御厨の領主、大庭景義(懐島景能)の懐島城がありました。
懐島城の鬼門の方角に伊勢神宮を勧請した事が始まりとされています。

大庭御厨(おおばみくりや)とは、、、伊勢神宮に寄進した荘園のこと。
相模国最大の御厨でした。
現在も藤沢には大庭という地名があります。
御厨とは、神様の食べる物を作る場所という意味があります。
つまり収穫された何%かを、伊勢神宮に送り領地を守ってもらっていた事になります。

懐島景能とは、、、懐島(円蔵、西久保、矢畑、浜之郷)を本拠地とし、鎌倉幕府成立に貢献した武将で、源頼朝からの信頼が厚かった。
拝殿の前には
懐島景義の夢のお告げにより
鶴嶺八幡宮から勧請された
「癌封じ」の兄弟霊石 

鶴岡八幡宮にある霊石と
両社の霊石を祈願すると更に治癒力が増すと信仰されています。

拝殿の左側へ進むと
「懐島郷 景能祭」
碑の文字は鶴岡八幡宮の宮司、吉田茂穂氏が描いたもの。
矢印奥へ進みます
山王権現社
御祭神 大山咋神
(医薬、病気平癒の神)

1701年、円蔵の氏子により創建
鶴田町から遷移されました。

こちらが懐島景能

源頼朝は、命令に従わない藤原泰衡を討つ為に、後鳥羽上皇からの出陣許可を持ったが、なかなか許可がおりません。

困った頼朝は、景能に意見を尋ねると
「泰衡はあなたの部下です。部下を懲らしめるのに、許可はいりません。直ちに進発なされるがよい」
と、なるほど決心のついた頼朝は、景能に感謝し馬を1頭授けました。
南無妙法蓮華経(日蓮宗)
供養碑

高橋藤吉という人が目を患ってからある夜に、懐島景能が夢枕に立ち、自分の供養碑の建立を懇願し、藤吉さんの目の完治を約束しました。

藤吉さんは兄、高橋豊蔵と共に懐島館の西方内堀北側に供養碑を建立するとたちまち、目は治癒し効果が現れたそうです。

供養碑を建立した際に出土した五輪塔

建立した場所から五輪塔が出てくるという不思議な出来事😳

源頼義に従軍し出陣した際に、景能は敵方の源為朝の矢に当たり負傷しました。
為朝の矢に当たり命を落とさなかったのは、景能だけだった事から、
運の強い武士だったという伝説があるそうです。

↓の塔には、
※鶴岡八幡宮の源平池
※懐島城址
※和田塚(景能の子ゆかりの塚)
の3箇所の土を、鶴岡八幡宮の若宮でお祓いし、塔に納められているそうです。

ここにも鶴岡八幡宮との繋がり発見!

戦争英霊の慰霊塔
慰霊塔の裏側
力石
戻ってきたら🕊鳩ちゃんが2羽仲良くお散歩してました😊
茅ヶ崎市無形重要文化財

懐島景能が笛太鼓の宴で源頼朝をもてなした事に由来




そしてこの日最後に
茅ヶ崎市鶴嶺八幡宮

今日も変わらず美しい参道✨
3回お参りに来て、3回とも同じ様な時間帯のお参り。
ぐるっと一周お参りしてきました🍓
お参り終って、最後に振り返ってお辞儀をしたら、屋根の上に2羽の鳩🕊ちゃん。
懐島弁財天
祠が梅の花に囲まれていて、とてもとても素敵でした😊🌸
どこか別の時代に来たような感覚になりました✨

今回は無事に鶴岡八幡宮の歴史巡りが出来ました✨

鶴岡八幡宮が10倍楽しくなる、本社宮〜神明大神宮〜鶴嶺八幡宮の歴史巡り😊

来月には桜🌸の時期がやってくるので、それに合わせて、由比若宮と鶴岡八幡宮のお参りへ行きたいと思います😊💕

楽しかった〜🌸

ご訪問、お読み下さりどうもありがとうございました😊🙏