24歳で広島からこちらにお嫁に来て

友達も誰一人いない。

親戚どころか、知り合いも誰一人いない。


義両親との同居。

夫の姉二人のうち、一人は頻繁に家族でやって来てた。


夫は週1日しか休みがなく、

それも平日。


場合によっては最終週の休日も

休みが無くなってたりした。


最低のブラック企業やったわ

夫が退職後、バブルが弾けて

倒産したからザマアミロやってんけどニヤリ


ほんま地獄やったわ。あの頃。



お手伝いさん代わりにも程があるって。。。



一人で買い物。

両手に荷物を持って歩いてる道から、

ずっと先に家が見える。

一直線の道やから。



その家の前に白い車(義姉の家の車)が

停まっているのが見えたら、

ものすごくガッカリしてたわ。


どーーーんと気が重くなって。


好き嫌いの多い姉夫婦。

気を遣いながらメニューを

考えなければいけなくて、

かなりの負担やったわ。


毎週日曜日にやってきて

晩御飯食べて帰ってはった。

義姉はもちろん、義母も手伝ってくれません。


一人であれこれおもてなし料理。


特別に何もせんでええよー

って、義母は言うけど、

若い私は、そう言うわけにはいかないわ…

と、気を遣ってあれこれ作ってた。


年齢的にも何も言えんわね。

24歳の子供やってんもん。

嫌やとは言われへん。

何かお寿司でもとってくれとは言われへん。


自分がやらなしゃーないと抱え込む。


食事終わっても。

向こうは休みで家族団欒でも、

夫は休みではないので

私は一人外野。




寂しいのはそれだけではなくて、

平日でも、行くところもなく

会う人も居ないし、

おしゃべりする相手もいません。


義両親は家に居はるけど、

ずっと一緒にいるのも気まずいですやん?!

気を使うし、しゃべる事もない。


そんな中でできた第一子は死産。


重度の妊娠中毒症で体もボロボロ。

その後で、腎臓の経過観察するために

毎月大きな病院に通院することになったんです。


月に一度。

その日は、私にとって息抜きの日。


外に出られる口笛


電車に乗って出掛ける。

目的地のあるお出かけ。


長い間家を出てても、大義名分あるので、

ものすごい解放感やねん!!


大きな病院は時間がかかるのが当たり前。

夕方近くまではゆっくりできます。


いや。。。


お昼過ぎには終わっててんけど、

早く帰りたくないので、

病院の食堂でお昼を食べて

のんびりその辺りを歩いたり。



それでも時間がつぶれなかったわ。

病院のあるあたりが、

何もないところなので時間が潰れないえーん



家から遠い線の最寄りの駅に着いても

バスには乗らず、ぶらぶらしてた。

何とかして家に遅く帰りたかった。




毎回違う道を通って、

わざわざ遠回りしたり。。。


一人でぶらぶら。




今日、たまたまその辺りに用事があったので、

歩いて出掛けました。



阪神淡路大震災でかなり被害を受けた地区なので、

当時とは様変わりしてるんやけどね。



あれから何度か、

この辺りに来る事もあるんやけど、

一人で歩くと、また違うね。

色んな感情が湧いてくる。



あの頃の寂しかった事や

居場所がなくて辛かった事を思い出して、

よく頑張ってたよなぁ私。って思うと

涙が出そうになったわ。




ここで泣いてたら変なおばさんやん?


あかん、あかん。。。


と堪えながら歩いてん。


結婚式で、みんなに祝福されて、

私の両親も「間違いなく幸せになるだろう」

と思って送り出してくれた。

遠いところにお嫁に出すのも寂しかったやろに。



それなのに、新婚時代は劇暗。

楽しかった思い出なんかひとつもないと言える。


うん。


はっきり言える!!



そんな事を考えても泣きそうになる。



そんな思いまでして頑張ってたのに

夫には裏切られるし…



結婚って、ほんまに

してみなわからんもんやね。




今の失敗記憶を持ったまま

生まれ変わってやり直したいネガティブ




そんなことできもしない事考えなら、

あの頃、時間潰しにぶらぶら歩いた道を

歩いた。



欲を言えばキリがないのはわかってる。



気持ち変えながら

寿命まで生きなね。




私にくっついてくるこの子たち。


めちゃ癒してくれる照れ



あんたたちーー!



そろそろお散歩行きましょか?


あったかいうちに。