ちょっと昔話を書いていこうと思います。
そこで今回は『浪人時代に接したT君から学んだこと』について書いていこうと思います。
●自分の可能性は自分が信じるべき●
インフルエンザ薬であるタミフルも5日分飲み終わり、すっかり体も癒えました!
またまた返せていないコメントも多数あるので、こまめに返していきます。
今僕は塾・予備校講師として大学受験指導を中心に行っています。
もちろんこれを行っていこうと思うに至った理由は様々あるのですが、その中でも大きな一部を示している浪人時代の経験について書いていこうと思います。
僕は浪人時代、ある大手予備校の寮に入って生活をしていました。
住んでいる地域的に寮に入らずとも予備校には通うことはできました。
でも、あえて全然別の地域に行き、その場で将来の予備校講師としての事前研究も兼ねて浪人生活を送っていました。
そのとき学んだことは今でも大きく生きています。
もちろん予備校講師としてその当時第一線で活躍されていた先生たちの「技術」なるものを直接見ることができたのも良い経験となりました。
それに対して、生徒がどのような感じで見ているのかも体感することができました。
それ以外にも得るものは多かったと思います。
そんな中、僕の予備校講師としての資質に火をつけた経験があります。
それは『予備校の寮での経験』です。
寮である以上、いろんな人がいます。
別に東大・京大あたりを狙った人ばかりではありません。
早慶・上智など難関私大を狙った人も多数いました。
そんな中、ある1人の早大志望者T君に出会ったことが僕にとっては非常に大きな経験となりました。
僕の寮の部屋の右斜め前の部屋にやってきました。
T君は夏休み期間までは自宅で勉強していました。
しかし、夏休みから寮に入ってきた子です。
でも、なぜこんな中途半端な時期から寮に入ってきたのか?
それにはちゃんとした事情があったのです。
もともとはスポーツ一辺倒で学生生活を送っていました。
そしてバスケットボールで県の代表になったりするほどの力を身に付けるまでになったのです。
そして、そこまでいっているだけあって、「スポーツ推薦」で大学には十分に進学できたわけです。
でも、本人は思い立ったんですね。
『スポーツ推薦ではなく、勉強で早大に行きたい』と。
というのも、スポーツ推薦で進んだとしても、その先プロになることなど考えていなかったのです。
実業団なんかで、社会人チームとしてバスケットボールを続けていくことも考えていなかったようです。
やはりスポーツの世界、自分よりも圧倒的にうまい人たちがゴロゴロいるわけです。
そんな人たちを見ていると、自分がそういった世界で戦っていくことがいかに厳しいかを認識していたようです。
そこで、今まで走り続けてきたスポーツの道ではなく、『勉強の道で早稲田大学政経学部に入りたい』と思うに至ったわけです。
しかし、そこは難関。
政経学部自体、早大の文系学部の中では花形学部ですよね。
その当時、入試問題のレベル自体はそこまで高くはないものの、その代わり非常に高い正答率を求められました。
そして、ここで言う「そこまでレベルが高くない」というのは早大内の入試問題同士での比較であって、一般的にはそこまで簡単ではありません。
さらに言えば、今まで勉強なるものを一切と言っていいほどしてこなかった人からすれば、むちゃくちゃ難しいわけですよね。
そんな中、T君は『チャレンジしたい!』という気持ちになったわけです。
そこでまずは入試問題を見ました。
そしたら現代文という、自分が使っているはずの言葉が書いているものでさえ、全くわからないことに冷や汗が…。
英語なんて何一つわかりません。政経に関しても同じです。
そこで冷静に考えて、「まずは高校入試レベルの勉強から始めよう」と思い、そこから始めたようです。
そうなると、大学受験予備校に行っても意味がないと思ったらしく、結果として高校入試レベルの勉強がひとまず完了した夏休み前まで自宅にて勉強していたそうです。
そこで夏休みから寮に入り、本格的に大学受験の勉強を始めました。
やはり気合いが違いますよね。
予備校に行っているときには寮内で勉強できる時間に限定がある者の、予備校がない日などは16時間程度はひたすらに勉強していました。
きっと効率も悪かったでしょう。
それも関係なしに、徹底して勉学に励んだわけですね。
そんな中、僕も英語であれば質問に答えることができましたから、聞かれたものは答えるようにしていました。
そんな中、チューターをやっている中央大生に何度も「うるさいから止めなさい」と注意されました。
そして僕は勉強を教えているのに注意書をもらったりもしました。
それでも関係なしにいける範囲で教えていました。
そのときの中央大生には悪いですが、僕が目指すところもその人たちのはるか上、T君が目指すところもはるか上です。
そんな人たちに邪魔されている場合ではありません。
もちろん迷惑になってはいけませんから、最大限注意していたつもりです。
そんな中、僕は僕で勉強していき、T君の質問に答えながら日々が過ぎていきました。
このときの経験は本当に役に立ちました。
少々ねじ曲がっているかもしれませんが、こういった『逆境』を乗り越えてでも達成したい目標が目の前にあったからこそ頑張りたいと思えたのだと思います。
そして、T君のサポートも継続してしたいと思っていました。
そして日々が過ぎ、ついに私大入試が始まったのです。
まずは日大(日本大学)から。
入試から帰ってきたT君は「余裕っしょ!」と言えるまでになっていました。
そして明大(明治大学)。
日大よりも厳しかったものの、「行けたっしょ!」と。
そしてラストに目標としていた早稲田大学政経学部。
かなりキワキワの闘いになったと思っていたものの、「なんとかなったかも!?」という気持ちに。
その結果、この3つの大学すべてに合格していました。
本当、気合いの賜物ですよね。
1年間の最初は高校入試レベルの勉強からスタートしたにも関わらず、最終的には目標である『早稲田大学政経学部』に合格したわけです。
これを後々聞いた僕もほっとしました。
中央大生の面倒臭い説教をかいくぐって質問に答えた甲斐がありました(笑)
そしてこの経験が『どれほど周りの人たちが自分の可能性を否定しても、自分だけでも自分の可能性を信じ続け走り続ければ、叶う可能性はある』ということを学びました。
これが今の生活にも生きています。
これからもこれを心に秘めて頑張っていきたいですね。
そこで今回は『浪人時代に接したT君から学んだこと』について書いていこうと思います。
●自分の可能性は自分が信じるべき●
インフルエンザ薬であるタミフルも5日分飲み終わり、すっかり体も癒えました!
またまた返せていないコメントも多数あるので、こまめに返していきます。
今僕は塾・予備校講師として大学受験指導を中心に行っています。
もちろんこれを行っていこうと思うに至った理由は様々あるのですが、その中でも大きな一部を示している浪人時代の経験について書いていこうと思います。
僕は浪人時代、ある大手予備校の寮に入って生活をしていました。
住んでいる地域的に寮に入らずとも予備校には通うことはできました。
でも、あえて全然別の地域に行き、その場で将来の予備校講師としての事前研究も兼ねて浪人生活を送っていました。
そのとき学んだことは今でも大きく生きています。
もちろん予備校講師としてその当時第一線で活躍されていた先生たちの「技術」なるものを直接見ることができたのも良い経験となりました。
それに対して、生徒がどのような感じで見ているのかも体感することができました。
それ以外にも得るものは多かったと思います。
そんな中、僕の予備校講師としての資質に火をつけた経験があります。
それは『予備校の寮での経験』です。
寮である以上、いろんな人がいます。
別に東大・京大あたりを狙った人ばかりではありません。
早慶・上智など難関私大を狙った人も多数いました。
そんな中、ある1人の早大志望者T君に出会ったことが僕にとっては非常に大きな経験となりました。
僕の寮の部屋の右斜め前の部屋にやってきました。
T君は夏休み期間までは自宅で勉強していました。
しかし、夏休みから寮に入ってきた子です。
でも、なぜこんな中途半端な時期から寮に入ってきたのか?
それにはちゃんとした事情があったのです。
もともとはスポーツ一辺倒で学生生活を送っていました。
そしてバスケットボールで県の代表になったりするほどの力を身に付けるまでになったのです。
そして、そこまでいっているだけあって、「スポーツ推薦」で大学には十分に進学できたわけです。
でも、本人は思い立ったんですね。
『スポーツ推薦ではなく、勉強で早大に行きたい』と。
というのも、スポーツ推薦で進んだとしても、その先プロになることなど考えていなかったのです。
実業団なんかで、社会人チームとしてバスケットボールを続けていくことも考えていなかったようです。
やはりスポーツの世界、自分よりも圧倒的にうまい人たちがゴロゴロいるわけです。
そんな人たちを見ていると、自分がそういった世界で戦っていくことがいかに厳しいかを認識していたようです。
そこで、今まで走り続けてきたスポーツの道ではなく、『勉強の道で早稲田大学政経学部に入りたい』と思うに至ったわけです。
しかし、そこは難関。
政経学部自体、早大の文系学部の中では花形学部ですよね。
その当時、入試問題のレベル自体はそこまで高くはないものの、その代わり非常に高い正答率を求められました。
そして、ここで言う「そこまでレベルが高くない」というのは早大内の入試問題同士での比較であって、一般的にはそこまで簡単ではありません。
さらに言えば、今まで勉強なるものを一切と言っていいほどしてこなかった人からすれば、むちゃくちゃ難しいわけですよね。
そんな中、T君は『チャレンジしたい!』という気持ちになったわけです。
そこでまずは入試問題を見ました。
そしたら現代文という、自分が使っているはずの言葉が書いているものでさえ、全くわからないことに冷や汗が…。
英語なんて何一つわかりません。政経に関しても同じです。
そこで冷静に考えて、「まずは高校入試レベルの勉強から始めよう」と思い、そこから始めたようです。
そうなると、大学受験予備校に行っても意味がないと思ったらしく、結果として高校入試レベルの勉強がひとまず完了した夏休み前まで自宅にて勉強していたそうです。
そこで夏休みから寮に入り、本格的に大学受験の勉強を始めました。
やはり気合いが違いますよね。
予備校に行っているときには寮内で勉強できる時間に限定がある者の、予備校がない日などは16時間程度はひたすらに勉強していました。
きっと効率も悪かったでしょう。
それも関係なしに、徹底して勉学に励んだわけですね。
そんな中、僕も英語であれば質問に答えることができましたから、聞かれたものは答えるようにしていました。
そんな中、チューターをやっている中央大生に何度も「うるさいから止めなさい」と注意されました。
そして僕は勉強を教えているのに注意書をもらったりもしました。
それでも関係なしにいける範囲で教えていました。
そのときの中央大生には悪いですが、僕が目指すところもその人たちのはるか上、T君が目指すところもはるか上です。
そんな人たちに邪魔されている場合ではありません。
もちろん迷惑になってはいけませんから、最大限注意していたつもりです。
そんな中、僕は僕で勉強していき、T君の質問に答えながら日々が過ぎていきました。
このときの経験は本当に役に立ちました。
少々ねじ曲がっているかもしれませんが、こういった『逆境』を乗り越えてでも達成したい目標が目の前にあったからこそ頑張りたいと思えたのだと思います。
そして、T君のサポートも継続してしたいと思っていました。
そして日々が過ぎ、ついに私大入試が始まったのです。
まずは日大(日本大学)から。
入試から帰ってきたT君は「余裕っしょ!」と言えるまでになっていました。
そして明大(明治大学)。
日大よりも厳しかったものの、「行けたっしょ!」と。
そしてラストに目標としていた早稲田大学政経学部。
かなりキワキワの闘いになったと思っていたものの、「なんとかなったかも!?」という気持ちに。
その結果、この3つの大学すべてに合格していました。
本当、気合いの賜物ですよね。
1年間の最初は高校入試レベルの勉強からスタートしたにも関わらず、最終的には目標である『早稲田大学政経学部』に合格したわけです。
これを後々聞いた僕もほっとしました。
中央大生の面倒臭い説教をかいくぐって質問に答えた甲斐がありました(笑)
そしてこの経験が『どれほど周りの人たちが自分の可能性を否定しても、自分だけでも自分の可能性を信じ続け走り続ければ、叶う可能性はある』ということを学びました。
これが今の生活にも生きています。
これからもこれを心に秘めて頑張っていきたいですね。