中高一貫校の中3生を担当していて、時折あることを思ってしまいます。
そこで今回は『「何のために勉強しているのだろうか?」に対する私見』を書いていこうと思います。
●集中力と考える力の構築●
中高一貫校の中3生というのは、なかなか悩ましい学年です。
学校によっては高校から新しいレベル別のクラス分けを行うために、中3のときの様々なテストを活用する学校もあります。
こういった学校の中3生はかなり一生懸命勉強する期間というのを設けることになるので、特段問題ないように思います。
ただ、悲しいかな、このような学校ばかりではないわけです。
僕は高校から入った身なので、中高一貫校がどのようなものかというのを生徒目線で経験したことはありませんが、やはり中3生の頃というのは、非常にダラダラしやすい期間です。
中1のときほど緊張感もなく、どんどん自我が目覚めていきます。
さらに高校に入って以降ほど、真剣に大学入試ついて考えているわけでもありません。
かといって何もせずダラダラ過ごしてしまっては、せっかくの良い頭ももったいないことになってしまいます。
そこで思うんです。『何のために勉強するのか?』と。
これに対しては様々な答えがあると思います。
例えば、『すべての教科のすべての内容が役に立つわけではないが、もし将来必要になったときにちゃんと使えるように勉強するんだ』という発想です。
でも、正直言って将来必要になった時にどこまで覚えているかは怪しいものですよね。
もっと言えば、本当に必要になれば、もう1回学び直していくように思います。
では、『集中力を磨くために勉強するんだ』という発想はどうでしょう?
これには僕自身賛成です。
以前記事にもしたように、『集中力』というのは残念なくらい短い時間しか保ちません。
でも、短距離ダッシュのような集中力であったとしても、そのダッシュを何本走れるかは鍛え方次第だと思います。
過去に何本も走った人は、年をとっても何本でも走っていけるでしょう。
逆に、過去に走ったことのない人は、残念ながらかなり苦労して走っていかなければ走れないはずなのです。
そういった意味では『短距離ダッシュのような集中力を何回でもできるように勉強するんだ』という発想には賛成です。
また、これ以外にも『考える力を身につけるために勉強するんだ』という発想もあると思います。
これに関しても賛成ですね。
僕もよく言っていることがあります。
それは「せっかく頭(脳)が付いているんだから、目一杯使っていこう!」ということです。
なぜもったいないかなんて正直説明できませんが、頭を使わないことはもったいなさすぎると思います。
様々なことに疑問を抱きそれを解決し、新しいことに興味を持つ、このような繰り返しを日々行っていくことで、変動する日々にも関心が持てるようになると思います。
まぁいき過ぎると、すべてをクールに見すぎて冷めているように思われるかもしれませんが(笑)
でもそこまで真剣に頭を使ったなら、僕はいいんじゃないかな、なんて思ってしまいます。
ただ、このような『考える力』も一朝一夕では身に付かないと思います。
僕は受験勉強を教えながら、自由英作文などを指導するときもあります。
そのとき、生徒の答案がいかに論理的に破綻しているかや、どうすれば正しい論理になるかを説明する機会があります。
また、そもそも発想が浮かばなく思えるときに、いかに発想を出していくかを説明していくときもあります。
そのようなときに必要になってくるのが、やはり『考える力』です。
もっと言えば、『考え方から発想に繋げる力』が重要になってくるわけです。
僕も小さい頃から『考える力』を身につけるべく、思考し続けた結果として、今では、『生徒の振る舞いから生徒の特性を見抜く』ことが得意になっています。
一見全く関係ないように思えるかもしれませんが、「人間がなぜそのような振る舞いをするのか」を考えていけば徐々にわかってきます。
確かに僕は今英語しか教えていませんし、それ以外の教科の公式なんてものは忘れてしまいました。
しかし、様々な教科の根幹に流れている『考え方』から学んだことは今でもしっかり頭の中に入っているように思います。
正直、『何のために勉強するのか?』、これに対する答えは1つには絞れないように思います。
でも、今のところ僕の中の結論は『集中力と考える力を身に付け、そこから普遍の考え方を習得するために勉強する』というものです。
みなさんは何のために勉強するとお考えでしょうか?
そこで今回は『「何のために勉強しているのだろうか?」に対する私見』を書いていこうと思います。
●集中力と考える力の構築●
中高一貫校の中3生というのは、なかなか悩ましい学年です。
学校によっては高校から新しいレベル別のクラス分けを行うために、中3のときの様々なテストを活用する学校もあります。
こういった学校の中3生はかなり一生懸命勉強する期間というのを設けることになるので、特段問題ないように思います。
ただ、悲しいかな、このような学校ばかりではないわけです。
僕は高校から入った身なので、中高一貫校がどのようなものかというのを生徒目線で経験したことはありませんが、やはり中3生の頃というのは、非常にダラダラしやすい期間です。
中1のときほど緊張感もなく、どんどん自我が目覚めていきます。
さらに高校に入って以降ほど、真剣に大学入試ついて考えているわけでもありません。
かといって何もせずダラダラ過ごしてしまっては、せっかくの良い頭ももったいないことになってしまいます。
そこで思うんです。『何のために勉強するのか?』と。
これに対しては様々な答えがあると思います。
例えば、『すべての教科のすべての内容が役に立つわけではないが、もし将来必要になったときにちゃんと使えるように勉強するんだ』という発想です。
でも、正直言って将来必要になった時にどこまで覚えているかは怪しいものですよね。
もっと言えば、本当に必要になれば、もう1回学び直していくように思います。
では、『集中力を磨くために勉強するんだ』という発想はどうでしょう?
これには僕自身賛成です。
以前記事にもしたように、『集中力』というのは残念なくらい短い時間しか保ちません。
でも、短距離ダッシュのような集中力であったとしても、そのダッシュを何本走れるかは鍛え方次第だと思います。
過去に何本も走った人は、年をとっても何本でも走っていけるでしょう。
逆に、過去に走ったことのない人は、残念ながらかなり苦労して走っていかなければ走れないはずなのです。
そういった意味では『短距離ダッシュのような集中力を何回でもできるように勉強するんだ』という発想には賛成です。
また、これ以外にも『考える力を身につけるために勉強するんだ』という発想もあると思います。
これに関しても賛成ですね。
僕もよく言っていることがあります。
それは「せっかく頭(脳)が付いているんだから、目一杯使っていこう!」ということです。
なぜもったいないかなんて正直説明できませんが、頭を使わないことはもったいなさすぎると思います。
様々なことに疑問を抱きそれを解決し、新しいことに興味を持つ、このような繰り返しを日々行っていくことで、変動する日々にも関心が持てるようになると思います。
まぁいき過ぎると、すべてをクールに見すぎて冷めているように思われるかもしれませんが(笑)
でもそこまで真剣に頭を使ったなら、僕はいいんじゃないかな、なんて思ってしまいます。
ただ、このような『考える力』も一朝一夕では身に付かないと思います。
僕は受験勉強を教えながら、自由英作文などを指導するときもあります。
そのとき、生徒の答案がいかに論理的に破綻しているかや、どうすれば正しい論理になるかを説明する機会があります。
また、そもそも発想が浮かばなく思えるときに、いかに発想を出していくかを説明していくときもあります。
そのようなときに必要になってくるのが、やはり『考える力』です。
もっと言えば、『考え方から発想に繋げる力』が重要になってくるわけです。
僕も小さい頃から『考える力』を身につけるべく、思考し続けた結果として、今では、『生徒の振る舞いから生徒の特性を見抜く』ことが得意になっています。
一見全く関係ないように思えるかもしれませんが、「人間がなぜそのような振る舞いをするのか」を考えていけば徐々にわかってきます。
確かに僕は今英語しか教えていませんし、それ以外の教科の公式なんてものは忘れてしまいました。
しかし、様々な教科の根幹に流れている『考え方』から学んだことは今でもしっかり頭の中に入っているように思います。
正直、『何のために勉強するのか?』、これに対する答えは1つには絞れないように思います。
でも、今のところ僕の中の結論は『集中力と考える力を身に付け、そこから普遍の考え方を習得するために勉強する』というものです。
みなさんは何のために勉強するとお考えでしょうか?