夏頃、授業中の板書を展開する際の軽い注意点を書いていきました。今回はその内容に関してさらに掘り下げた内容を書いていこうと思います。
●板書をする意義とは?●
さて『本来板書とは何のためにするのか?』について考えていくことから始めようと思います。
もちろん板書することによってその場その場で視覚的に相手に伝えることができるため、相手にとっても頭の中のイメージだけで進んでいくよりも圧倒的にわかりやすいと思います。
しかし問題は、「そこで終わってしまっていないか?」ということです。つまり、「その場その場のわかりやすさだけを求めて板書を書いていないのか?」ということです。
もちろん個別指導や質問受けという状況であれば、その場その場の問題に対する解答をしていくことによって相手にわかりやすく解説をしていくということは重要となってきます。
受験で言うのであれば、直前期の赤本などを使っての過去問演習の解説を軽く行う場合はこれに相当すると思います。
しかし、『授業』となってくると、必ずしもこのようなスタイルでいいわけではありません。中には『まとめ』や『ポイント提示』などが必要になってくる授業も多数あるわけです。
これを書いている時期はちょうど冬期講習といった時期なので、その場その場の解説を大量にしていくことによって、生徒の実戦力を高めていくということが達成できる可能性が高いので、そういったスタイルで問題ないと思います。
しかし、例えば冬期講習とは言っても、これから来年の受験へと備え始めていく高2生や、人よりも早く勉強を本格的に始めようと思っている高1生に対しては、このような一見実戦的に見えて、単なる問題の解説でしかない授業というのは意味がないことが多いのです。
問題を解説することでその問題は解けるようになるかもしれません。しかし、その1問だけを解くことが大きな目標なのではなくて、その1題を扱うことによって、これ以降の5題・10題、もっと言えば100題にでも応用可能、適用可能だからこそその問題を扱う価値が発生するのです。
●1週間中の授業時間の短さを実感する●
これはよく考えれば当たり前ですよね。だって、長い1週間のうちの90分や180分の時間なんてごくごくわずかな時間です。
でも、その短い時間に対して、塾や予備校であれば大きなお金を払って来てもらっているわけです。
ならば、その短い時間の中でも、1週間の残りの期間すべての学習に影響を及ぼすような大きなものを提供してあげなければ意味がないというわけです。
●板書として提供する内容の見つめ直し●
そこで講師にとって板書を書いていく際に必要となるのは、各回でテーマがあるのであれば、『各回のテーマは一体何なのか』『テーマを見抜くためにはどういった知識・発想法を持てばよいのか』という意識です。
さらには具体的な内容からスタートしても抽象的な内容からスタートしても構わないですが、最終的に『今学んでいる内容を抽象的にまとめるとどういったものであるのか』『まとめを中心に全体像を眺めることができるのか』など、各問題を具体的に解いているだけではわからない、『抽象的なまとめ部分』の存在に対する意識だと思います。
もちろん講師の説明が下手であれば、このような『まとめ』は意味をなさないことも多いのですが、それ以上に『まとめがまとめになってない、単なる事実の羅列しかしていない』という悲しき現象になっている場合も多々あります。
また、この『抽象的なまとめ』は言ってみればその分野の『大きな一般化』なわけですから、この箇所を生徒が自力で論理立って説明できるレベルにまで成長しないと、本当の力は付いていないように思うのです。
でも、これって当たり前ですよね。講師をやっている側の人間はちゃんと抽象的な形で全体像が見ているからこそ説明できるのです。
であれば、それを難しいと言わずに生徒に対して求めてもいいレベルというのが必ず存在するはずですし、そういったレベルでは確実にそのレベルまで話していく必要があると思います。
そこで1つ。『自分が板書として書いている内容は本当に本質を突いた見抜き方になっているのか、まとめになっているのか』を再考していってほしいと思います。
●板書をする意義とは?●
さて『本来板書とは何のためにするのか?』について考えていくことから始めようと思います。
もちろん板書することによってその場その場で視覚的に相手に伝えることができるため、相手にとっても頭の中のイメージだけで進んでいくよりも圧倒的にわかりやすいと思います。
しかし問題は、「そこで終わってしまっていないか?」ということです。つまり、「その場その場のわかりやすさだけを求めて板書を書いていないのか?」ということです。
もちろん個別指導や質問受けという状況であれば、その場その場の問題に対する解答をしていくことによって相手にわかりやすく解説をしていくということは重要となってきます。
受験で言うのであれば、直前期の赤本などを使っての過去問演習の解説を軽く行う場合はこれに相当すると思います。
しかし、『授業』となってくると、必ずしもこのようなスタイルでいいわけではありません。中には『まとめ』や『ポイント提示』などが必要になってくる授業も多数あるわけです。
これを書いている時期はちょうど冬期講習といった時期なので、その場その場の解説を大量にしていくことによって、生徒の実戦力を高めていくということが達成できる可能性が高いので、そういったスタイルで問題ないと思います。
しかし、例えば冬期講習とは言っても、これから来年の受験へと備え始めていく高2生や、人よりも早く勉強を本格的に始めようと思っている高1生に対しては、このような一見実戦的に見えて、単なる問題の解説でしかない授業というのは意味がないことが多いのです。
問題を解説することでその問題は解けるようになるかもしれません。しかし、その1問だけを解くことが大きな目標なのではなくて、その1題を扱うことによって、これ以降の5題・10題、もっと言えば100題にでも応用可能、適用可能だからこそその問題を扱う価値が発生するのです。
●1週間中の授業時間の短さを実感する●
これはよく考えれば当たり前ですよね。だって、長い1週間のうちの90分や180分の時間なんてごくごくわずかな時間です。
でも、その短い時間に対して、塾や予備校であれば大きなお金を払って来てもらっているわけです。
ならば、その短い時間の中でも、1週間の残りの期間すべての学習に影響を及ぼすような大きなものを提供してあげなければ意味がないというわけです。
●板書として提供する内容の見つめ直し●
そこで講師にとって板書を書いていく際に必要となるのは、各回でテーマがあるのであれば、『各回のテーマは一体何なのか』『テーマを見抜くためにはどういった知識・発想法を持てばよいのか』という意識です。
さらには具体的な内容からスタートしても抽象的な内容からスタートしても構わないですが、最終的に『今学んでいる内容を抽象的にまとめるとどういったものであるのか』『まとめを中心に全体像を眺めることができるのか』など、各問題を具体的に解いているだけではわからない、『抽象的なまとめ部分』の存在に対する意識だと思います。
もちろん講師の説明が下手であれば、このような『まとめ』は意味をなさないことも多いのですが、それ以上に『まとめがまとめになってない、単なる事実の羅列しかしていない』という悲しき現象になっている場合も多々あります。
また、この『抽象的なまとめ』は言ってみればその分野の『大きな一般化』なわけですから、この箇所を生徒が自力で論理立って説明できるレベルにまで成長しないと、本当の力は付いていないように思うのです。
でも、これって当たり前ですよね。講師をやっている側の人間はちゃんと抽象的な形で全体像が見ているからこそ説明できるのです。
であれば、それを難しいと言わずに生徒に対して求めてもいいレベルというのが必ず存在するはずですし、そういったレベルでは確実にそのレベルまで話していく必要があると思います。
そこで1つ。『自分が板書として書いている内容は本当に本質を突いた見抜き方になっているのか、まとめになっているのか』を再考していってほしいと思います。