宝物 | 生存率5%にかけた夫婦の闘病記(二人三脚で病に打ち勝つぞ!)

生存率5%にかけた夫婦の闘病記(二人三脚で病に打ち勝つぞ!)

32歳で自分の腎臓癌が見つかり、手術も成功してホッとする間もなく
今度は最愛のダンナさんにスキルス胃癌が!!
2年1ヶ月の闘病を終え、ダンナさんは旅立ちました。
ダンナさんとの想い出と1人娘との生活について書いてます。

昔娘っち赤ちゃんの頃、
ダンナっちの仕事の関係で山梨に住んでました。

私の地元は車がなくても生活できる地域なので
当時は運転免許は持っておらず、

初めての地方暮らしで
買い物しようにも近場にはなく
交通手段に難儀してました。


まだ娘っちが3、4か月だった頃でしょうか。

検診の為に市街地の病院へ行く事に。

市街地に行く時は出来る限り
ダンナっちに車を出してもらってたのですが
その日は仕事でお願いできず
バスに乗って行く事に。

まだ赤ちゃんだった娘っちを抱っこ紐で抱っこし
ミルクやオムツ、着替えが入ったバッグを持ち
ベビーカーを持って出発。

バスは1時間に1本、乗り遅れたら大変。

病院に着いたら検診でたっぷり待たされ
(田舎の総合病院だったので常に激混み)
育児指導。

若くして産んだ初めての我が子、
いくら保育士をしていても不安な事はたくさんあり
医師や看護師の言葉に一喜一憂したり。

病院が終わり、また駅前のバス停まで歩いて行き、
ベンチに腰かけていた時でした。


70歳くらいのおばあちゃんが
「カワイイぼこ(赤ちゃん)だな」
と声をかけてくれました。

甲州弁満開のおばあちゃん。

娘っちを見て
「お母さん、アンタが今抱いていんのは赤ちゃんじゃないだよ」
「かわいいかわいい宝物さ~」

「アンタは甲州の人間かい? 」

私が引っ越してきたばかりで
まだこちらに慣れなくて…というと

育児は大変だに、でも宝物育ててると思ったら
何か得した気持ちにならんかい?

そう言って、そのおばあちゃんは笑ってました。


初めての育児、知らない土地、
知り合いもいなくて、心細く、
夜泣きも酷くて、疲れた顔をしていたのかもしれません。

だけどこのおばあちゃんが声をかけてくれた事で
私の心はふっと軽くなりました。

元々ずぼらな私が毎日育児日記を書き
ミルクは何cc飲んだか、オムツは何回変えたか書き込み
1日のスケジュールを何時にこれをした、なんて書いたり。

母乳の出が悪く、半分はミルクで育ててる事に
後ろめたさと娘への申し訳なさで いっぱいで、
できる事はなんでもしてあげたくて、常に抱っこ。

それにプラスして、新婚だったから慣れない家事も加わり
当時はけっこー切羽詰まってました。

ダンナっちの「死んだりしないから、もう少し手を抜いたら?」
の言葉に
「何にもわかってくれなーい!」と泣いてみたり。

でもそのおばあちゃんの一言に
すっごく救われたんです。

夜泣きもひどいし、おっぱい出なくて…
なんて無理して笑顔で話したら
そのおばあちゃん、笑顔でこう言ってくれました。


でも今こうやって赤ちゃん生きてる、
安心して寝てるでしょう、
だから大丈夫だに、
私なんて6人産んでそれこそ手をかけてやれんかったけど
みんな元気に育った、
赤ちゃんこんなにぷくぷくしとる
元気な証拠、お母さんが頑張ってる証拠。

いやぁ泣きました。
駅前のバスロータリーで。

でもそのおばあちゃんのおかげで
育児ノイローゼにもならず、
適当に手を抜き、息を抜き、
今に至ります。

そんな赤ちゃんだった娘っちも
もうすぐ10歳。

乙女心満開の、モテ子まっしぐら
でも相変わらずのおてんば娘に成長しました。

その時のおばあちゃんは、
今も元気でいらっしゃるかしら。

見ず知らずの方で、どこでどうしてるかも知りませんが
もう一度お逢いできるなら
ありがとうを伝えたいです。

そしてあの時の宝物が
こんなにも大きく成長しました、
と伝えたいです。


まだ若いママだったから至らない所もたくさんあるだろうに
認めてくれてありがとうございました。

あの時否定されてたら、
もっと苦しい育児になってました。

おばあちゃん、ありがとう。