昨日・今日と、横浜で行われている「青少年の居場所づくり全国フォーラム」に参加しています。

私自身、コミュニティースペースと学童保育を兼務しており、固定された知識や活動(故に「正解ー不正解」という価値観や「教えるー教わる」という関係性に囚われてしまう)を越えて生まれるものに関心があるため、サブタイトルである「遊び、アート、共生」に魅力と可能性を感じました。


○「生産性・有用性」の世界と「生命性・生存性」の世界
フォーラムの中で、近代産業社会におけるライフサイクルモデルについてお話がありました。「生産性・有用性」が重視される社会においては、こども期は常に右肩上がりの「発達」(個の能力発達的なニュアンスでの発達)が求められ、壮年期において生産性が頂点に達し、そこから老年期には右肩下がりになるような傾向が見られるという捉え方に深く共感。加えて、「生産性・有用性」という文脈における「生きる力」(この言葉も個人の能力発達的な成長モデルをベースとし、先行き不透明な社会においてサバイブする・生き抜く力として捉えられている)や「○○力」という言葉の流布、さらには本来であれば「生産性・有用性」とは異なる文脈で展開するはずの遊びの世界にまで浸出し「遊びを通して○○力が身につく」というように遊びが手段化されているという状況が伝えられました。

こうした「生産性・有用性」の世界(havingが重視される)と対極にあるものが「生命性・存在性」の世界(beingが大切にされる)であり、そこでは自然や他者、事物との生き生きとした関係や偶発的な体験、関係性、それを通した豊かな自己変容が生まれます。今日の社会における居場所は、我々も少なからず影響を受けている「生産性・有用性」の世界と、本来の人間の〝生〟の姿であり今日の日本社会で失われつつある「生命性・存在性」の世界とを繋ぐ役割を担うことが求められる…そのようなお話を、深く頷きながら伺いました。


○「CRE∞Project」の中で生まれたもの〜「マガジン」を越えて〜
現在私はコミュニティー・スペースにおいて「CRE∞Project」という活動を行なっています。第1回目となった2019年度は、こどもたちがプロの方々(フリーライターさん、地域のフォトスタジオ代表の方、デザイナーさん、動画クリエイターの方など)から技を教わり、地域を取材してマガジンを制作・販売するという活動を行いました。「マガジンをつくりました」と言うとゴール指向的な活動であるように思われがちですが、自分の思いとしては「むしろ、それをきっかけとして生まれてくるものや新たなコラボレーションに光を当てる」という部分を大切にしてきました。

・4年生の男の子の「目が見えない人にもマガジンを読んでもらいたい!」という思いから、長年点訳をされていた方との協働が生まれたり、(https://ameblo.jp/yokomeyagi19/entry-12523967897.html

・5年生の男の子の「読んだ人が取材先を巡ってもらう仕組みをつくりたい!」というアイディアから「ミッション」づくり(当初、彼はスタンプラリーをイメージしていましたが、取材先にOKをいただけないかも…と一度煮詰まったところでフォトロゲイニングというものがあることを私が発見。「こんなのあるみたいだけど…」と提示すると興味を抱いたようで取材で撮影した写真を見返してミッションを作った)が生まれたり、

・「郵送販売を行なっているけれど、未だに申し込みがゼロ」という状況をこどもたちに伝えると、「そんなの簡単じゃん!買ってください!っていう動画をつくれば良いんだよ」と話した4年生の女の子の言葉を聞くやいなや、こどもたちが自然と役割分担をして、ものの30分程度でYouTuberさながらの動画をつくったり
他にも、中学生の女の子のアイディアで生まれたランプシェードづくり(お客さんが来るには、まずコミュニティー・スペース自体が入りやすい雰囲気でないといけないという思いから生まれた)や缶バッジづくりなど、こどもたちのアイディアをきっかけとして生まれたものを挙げればキリがありません。これらのプロセスは「生産性・有用性」の文脈から捉えれば、「マガジンを作る」というゴールに向かう上で「無駄」なものとして切り捨てられてしまうことでしょう。けれど、そのような捉え方を越えたところで生まれているものは確かにあったと自信を持って言うことができます。少しでもそのことを発信するために、毎回の活動後、A4用紙平均6枚程度のレポートを作成し、保護者の方々に配付したりFacebook経由に投稿したりしました。とても嬉しかったのは、レポートにてマガジンの点訳プロジェクトについて発信したことで「特別支援学校の先生を紹介するよ」「職場に点字を読むことができる方がいるよ」などの声をいただき、そこから新たなコラボレーションが生まれたこと。「生命性・生存性」の文脈に響き合って応援していただけた方々のご協力があったからこそ、当初の狭い枠組みを越えてプロジェクトが豊かに展開していきました。


○「生産性・有用性」の世界を打破するこどもたち〜
こどもたちが「生産性・有用性」の世界を望んでいないことを示す瞬間が、実は初回にありました。元教員の悪い癖?で、事前に「マガジンとは何か、これからどういうことをするか」ということを伝えるスライドを用意し説明する時間を設けました。しかし、私が話し始めるとこどもたちの眼は次第に翳り、明らかにつまらなそうな表情。3秒間くらい「やばい…」と思いましたが、すぐに「いいや、やめよう。説明終わり!」と説明を打ち切り、事前に用意していた各地のローカルマガジンを並べて自由に探求する時間に切り替えました。すると、こどもたちの眼に輝きが戻り、ある子はマガジンのキャラクターに興味を持って模写→オリジナルキャラクターを描き、またある子は学校で川柳を学んだことを想起してキャッチコピーが五・七・五になっていることに気付き、さらにある子は表紙と裏表紙のデザインに着目して続き絵になっているものがあることに気付いたのでした。私の中で「やばい…」という感情は完全に消え、むしろ「よくやったぞ、こどもたち!つまらないオトナに堕落しそうになっていた自分を助けてくれてありがとう!こうやって一緒に固定観念や『良かれと思って』が生み出す閉塞感を打ち砕き、協働で未知に向かって面白いものを創っていこう!」とわくわくしました。マラグッツィではありませんが、こどもたちと一緒に、どこへ行き着くかはわからない海原に向かって船を出す覚悟と「これで良いんだ!」という確信が生まれた瞬間。多分初回のこの経験がなかったら、なんだかんだでいつまでも「生産性・有用性」の文脈からなる「教えるー教わる」という関係性の構造を脱し得ない、よくある予定調和的な「プログラム」(プロジェクトと対極概念)に堕落していたと思います。


○まとめ〜2つの世界の狭間に立つ存在の重要性〜
「生産性・有用性」が優位な今日の日本社会。その社会構造を理解し、その中で「生命性・存在性」の世界の大切さを感じ、守ること両極の狭間に立ち、その摩擦で苦しみつつも余地や余白、抜け道を上手く見つけ、そこにこどもたちと一緒に「いま、ここ」を共創造する種を蒔き、そこに立ち現れる豊かな〝生〟を捉えて発信すること…これが居場所における大人の役割であり、そこに専門性があるのかな、と思いました。両方を見ることができる。摩擦に直面し葛藤することができる。それでもなお「生命性・生存性」を捉え発信するという心を失わずに居続けることができる。これって、結構大切なことなのではないでしょうか。「生産性・有用性」の価値観がマジョリティである社会の中で、まだまだ放課後の分野やサードプレイス的な場で実践する存在やそのような場の意味・意義についての理解が充分ではなく、私も肩身が狭い思いをすることもあるのが正直なところです。でも、だからこそ放課後の分野やサードプレイス的な場、そこにおける実践者の存在意義をしっかりと考えていくことが、今日の日本社会の中で「生命性・生存性」の世界を守る上で非常に重要なのではないかと私は考えます。一実践者として、哲学をしっかり持ち、ある意味で戦略的に活動していくこと…熱さ・確固たるものと、冷静さ・しなやかさの両方を持って実践することがだなぁと、まだまだ至らぬ点だらけの自分の姿を振り返りながら考えています。

今回のフォーラムに参加したことで、手探りで行なってきたCRE∞Projectが持つ意味について改めて捉え直し、次年度以降、さらには自分の今後のビジョンに繋げていきたいという思いが強まりました。引き続き、学びと活動、発信を繰り返し行なっていきたいと思います。