年末年始から読み始めた社会構成主義の本。
1月半ばには読み終えていたのですが、勤務しているコミュニティースペースに来てくださる方々と共有できたらと思い、自分なりにまとめてみました😊
↑もう一冊ガーゲンの本を持っているのですが、そちらはまだ読み終えていません💦
『あなたへの社会構成主義』(ケネス・J・カーゲン 著、東村知子 訳、ナカニシヤ出版、2004年)は300ページ超ありましたが、文は読みやすく内容も興味深かったため夢中になって読み進めました😊
↑自分なりに、社会構成主義が生まれた背景をまとめました📝『あなたへの社会構成主義』(ケネス・J・カーゲン 著、東村知子 訳、ナカニシヤ出版、2004年)は300ページ超ありましたが、文は読みやすく内容も興味深かったため夢中になって読み進めました😊
昔は絶対王政。各人は「個人」として認められることはなく、心身ともに自由はありませんでした。
そんな世の中を変えようと啓蒙活動が普及し、次第に人権や1人ひとりの個人が社会を作っていくという考えが生まれていきます。
が、やがて「社会をつくるための善良な市民たるもの、こうあるべき」という価値観に基づく教育観や道徳観が生まれていきます。つまり、外側に「正しいもの」「善いもの」という指標があり、「未熟な個人」が能力を獲得していくという発達観に行き着くわけです。
詳細は、抜粋部をご覧いただけたらと思うのですが、要するに「この知識は必要だから、蓄えなさい!」と児童生徒に一方的に押し付けるような教育の形を批判したのです。
ガーゲンはアメリカの心理学者ですが、日本でも「失敗への恐怖、競争に対する憂慮、耐えがたい退屈」に満ちた教育観、そして「二つの前提」は、まだまだ見られるのではないでしょうか。
↑学生の頃、「共感」について心理学の講義で、先生が「例えば親しい人が亡くなったクライエントが『あの人はなんで亡くなったんですか!』と嘆き悲しんでいる時に『交通事故での心肺停止です』と返したら…」というお話をされていたことを思い出します。
確かに、例にあげられたセラピストは、クライエントの「なんで」に答えていますが、明らかにマッチしていない。クライエントは死因を尋ねているわけではなく、その行き場のない怒りや悲しみ、嘆きを訴えているわけです。
同じ現象でも、多様な捉え方があるはずです。
現象としては「死」でも、ある人にとっては悲嘆であり、ある人にとっては心肺停止であり、ある人にとっては葬儀をすることで自らの生計を立てているわけであり…
つまり、そこには現象があって、それがどういう意味を持つのかは文脈に依存するということになります。
だからこそ、
・ある考え方が絶対的なものになる(=それ以外が「誤り」であると排除される)ような状況を崩し、
・違いや多様性があるからこその対話を通した創造、そして創造されたものも特異的な文脈の中で生まれたものであると、新たな変容への可能性を反省する姿勢を大切にしていこうというのが社会構成主義のアプローチなのだと感じました😊
↑社会構成主義の中で大切にされている要素をいくつか抜粋。特に「共同構成」という部分は、関係性の中で即興的に生まれる遊びと、それを支え膨らませていく大人の在り方について学生の頃に考察していたので、ガーゲンの考えがスッと入ってきました✨

↑ここまで見てきたところで、前回のブログ(https://ameblo.jp/yokomeyagi19/entry-12432502552.html)で紹介した物語創り遊びの光景が浮かんできました💡
それは決して「この順序でカードを並べなければいけない」という外側のルールがあるわけでも、誰か1人だけが物語をつくるのでもありません。
多様な感性があるからこそ「変化を生み出す媒体としての対話」を重ね、物語を共同構築していく。そのプロセスの足跡として並んだカード群は、次回遊ぶ時にはバラバラになり、新たな物語へと変容していく可能性も孕みながら、その文脈の中でこそみんなで笑い合えるような意味を持つ。
「社会構成主義」という言葉で語ると難しい部分があると思いますが、それを実践していくことが、今の自分ができることなのではないかと思っています。
実際に「栄養士モデル」の指導や、あらかじめ授業の流れやゴールが決まっている「プログラム」型の教育を変えることは難しい。
けれど、少しずつ実践・発信していく中で、小さくても何か変化が生まれていくのではないでしょうか。
地道に取り組んでいきたいと思います😊