☆オロロージョとは?
レッジョ・エミリア研修の最終日、「オロロージョ」という場所を訪れました😊
実は、昨年度レッジョ・エミリア研修を受けた方の報告を聴いて以来、放課後のこどもたちの居場所や育ちに関心を抱く身としてずっと訪れたかった場所でした。

このオロロージョ、以前は図書館だった建物を改築してつくられた「0〜99歳(つまり全世代)」の居場所とのこと。2016年〜2017年あたりにできたばかりで、「なにかを読み取り、探求し、研究し、分析し、なにかをつくるところ」「リサーチ、実験をするところ」であるとともに「遊ぶところでもある」であると、スタッフの方が定義されていました。

オロロージョは日本で一般的な学童保育のように登録制ではなく、放課後の時間に誰もが自由に訪れることができます。敢えて言うなれば、日本で言うところの〝図書館〟兼〝児童館(でも、「児童」に限らず何歳でも来ることができる)〟兼〝コミュニティースペース〟兼〝探求型の学びの場〟…ということになるでしょうか。
「オロロージョはオロロージョ」としか言いようがない気がします。


☆運営体系から見るオロロージョの役割
このオロロージョという場は、運営の仕方においてとても画期的です。どのような点が画期的なのかというと、レッジョ・エミリア市と、国の教育機関(国立の学校)とがコラボし、かつ運営はコペラティーバ(共同組合のようなもの)であるというところ。

以前ブログにも書いたのですが、いわゆる〝レッジョ・アプローチ〟を行なっているレッジョ・エミリアの市立の幼児学校を出たこどもたちは、小学生段階からほぼ全てがイタリア国立の小学校に進学します。実際に視察したわけではないのでなんとも言えませんが、話を聴く限りでは、レッジョの幼児学校をイメージして国立の小学校を観にいくと大きなギャップを感じてしまいそうな雰囲気がしました。

また、研修以前に聴いた話ですが、イタリアは国全体の結束力というよりも、市・コムーネ・共同体での結束力が強いそうです。したがって、レッジョ・エミリアの幼児教育が世界的に注目されているからといって、イタリア本国がそれをプッシュしているというわけではないというのが内実であるようです。

けれど、大切なので二度書きますが、
オロロージョは、レッジョ・エミリア市と国の教育機関とがコラボしてできた場なのです。
これがどういうことを意味するかというと、ついにレッジョ・エミリアの幼児教育がイタリア本国を動かしたということ。

なんと、オロロージョのスタッフが国立の学校を訪れて探求型の活動を行ったり、逆にこどもたちや先生たちを受け入れて一緒にプロジェクトを考え合ったりしているとのことでした😳

このようにオロロージョが果たす役割は放課後以外でも大きく、オロロージョが生まれたことにより、市内の幼児学校で培われてきた哲学やこども観・教育観・発達観が小学生段階以上でも継続的に守られていくような基盤ができてきたとも言えるでしょう。


☆オロロージョの中は〝100の言葉〟に溢れている
中は、保護者同伴で0〜6歳向けの遊び場や、6〜14歳のこどもたちの部屋、中高生の部屋、大学生や教員が学んだり研修を受けたりする部屋など、さまざまなコーナーが設けられています。
↑本もあれば…
↑ボードゲームもたくさんあります‼️
↑植物などを観察するプロジェクトが進行している部屋もあれば…
↑電子楽器のセッションができる部屋も!
↑3Dプリンターがある部屋には、敢えて粘土が置かれており、〝デジタル×アナログ〟の探求ができるようになっています。
↑こどもたちが作ったもの。このあたりだと中高生や大人たちが中心になるのかな?でも、おそらく明確に年齢制限を設けることはしていないと思われます。いろいろな人が集まってこそ面白い!という雰囲気を感じました^ ^
↑レゴ、サンフランシスコ、ボストン、デンマーク、そしてレッジョ・エミリアとのコラボで、プログラミングを使ってどんなことができるかを探求するプロジェクトが展開している部屋もありました‼️

ただ、繰り返しお伝えしたいのは「アート教室」「プログラミング教室」では決してなく、また「わぁ、すごい!」という「設備がすごいから日本では無理」というところに本質があるわけでも決してないというところ。オロロージョにあるたくさんのものは、こどもたちの〝100の言葉〟なのです。

そして、これらの〝100の言葉〟を通した活動ができる場をつくることにより、「こどもは決して未熟な存在ではなく、こんなにも世界を探求し、次々と素敵な表現を生み出してゆく力を持っているんだ」というこども観や、「結果や数値だけを観てこどもの発達は捉えることはできない。プロセスの中でこそ育ちが起こっている」という発達観を、幼児教育以外の場でも、幼児段階の人以外でも大切にしていこうというねらいが感じられました。


☆放課後の居場所でのこども理解
前回のブログ(https://ameblo.jp/yokomeyagi19/entry-12379546732.html)でドキュメンテーションについて書きましたが、オロロージョでもドキュメンテーションが大切にされています。
↑例えば、ボードゲームがたくさんある部屋には
ボードゲームに関連した歴史や文化、知識だけでなく、こどもたちがどのように遊んだのかがパネルに記録されています。
↑イタリア語がわからないのですが、こどもたちの呟きや、探求・発見・表現のプロセスが書かれているのだと思います。
↑プログラミングなどを通して探求ができる部屋では、中高生くらいのこどもたちが書いたと思われる数式が‼️
↑プログラミングのツールから膨らんだマインドマップ。

放課後の場であるからこそ生まれる活動や、放課後の育ちのプロセスをしっかり捉えている。そしてレッジョ・エミリア市内の幼児学校同様に、そのプロセスの中に意味を見出し、そしてドキュメンテーションにまとめて発信している…ここが、オロロッジョの特長だと感じました。


☆オロロージョの方への質問と回答
レッジョ研修最終日の最後訪問先ではありましたが、念願のオロロージョだったため、ここぞとばかりに質問をいくつかさせていただきました(一緒に参加させていただいた方々から「ゆーだいさんの食い付き具合がすごかった」と言われるほど笑)‼️


①幼児学校とオロロージョとの違いは何か?
…幼稚園のこどもたちと、小学生以上とで決定的に異なる点は、字を書き言葉を使うことができること。オロロージョの壁に貼られているパネルなどのドキュメンテーションは、かつて行われていたプロジェクトのドキュメンテーション。一方で、現在進行中のプロジェクトについては、こどもたち自身がドキュメンテーションをつくることができる。作ったものを残して置き、こどもたちが書いたメモなどをファイリングすることで、いま何が行われているのかを伝えることができる


②自由に行き来できる場であるからこそ、「プロジェクトが始まった日はいたけれど、次の日にはいなかった💦」ということもあるのでは?幼児学校のように継続的に同じこどもがいるわけではない場におけるプロジェクトやドキュメンテーションの意味とは?
「今日は いるけれど、翌日は いない」ということは普通にあり得ること。集まるこどもたちは、毎日サプライズ。1日に100人〜150人のこどもたちが入館し、たまたま通りかかった子同士でプロジェクトが生まれることもザラにある
入れ替わり立ち替わりする場だからこそ、出来上がったものは壊したり直したりせずに取っておく。そして、メンバーが変化することでプロジェクトは進化していく。進行中のプロジェクトは、こどもたちが書いたものなどをファイリングし、「前回は、こんなことがあったよ!」と こどもたち同士で教え合うというコミュニケーションを大切している。
メンバーが固定していない場でドキュメンテーションをつくることは確かに難しい。でも、難しいからこそやりがいがある。


③こどもと大人とでプロジェクトを行うことはあるか?
そもそも、「こども」と「大人」という意味がよくわからない。大人は一緒に活動するチームの一員。単に連れてくるだけの人でもなければ、ロボットなどを作る専門家でもない。こどもと同じく、何をするかを考えて一緒にプロジェクトを行うメンバー。そういう意味で、こどもと大人との境はない。


③の質問については、「こどもと大人という異年齢集団でプロジェクトができるのか(できるって答えてほしい)」という答えを引き出すために、ちょっと変化球の質問をしたのですが、求めていた回答以上の回答をいただけました✨

年齢を越えて、〝違い〟があるからこそ集団でやる意味があるし、だからこそ面白いプロジェクトが生まれるのだと個人的には思っています。

また、小学生以上の段階でのドキュメンテーションについて 幼児期との違いや小学生以上の特長を踏まえた上でお話していただいた点は、大・大・大収穫でした😊

幼児教育や保育園でのドキュメンテーションについては、日本でもたくさん素敵な本がありますし、レッジョ・エミリアについて調べるとたくさん出てきます。
けれど、それ以上の段階におけるドキュメンテーションについてはあまり見ることがなかったため、特に学童保育や児童館などのような場で生きる学びを得ることができ、本当に良かったです✨


ついにイタリア本国を動かしつつあるレッジョ・エミリア。そして、それを表している場であるともいえるオロロージョ。
今後も注目していきたいですし、今回学んだことを、自分が今いる場でも生かしていきたいです😊