☆どのようなこども観・発達観を持っているかが重要‼️
前回のブログで、レッジョ・エミリアの幼児学校の先生たちがどのようにこどもたちの姿を捉えているのかということを書きました📝

どのようなこども観・発達観を抱いているかということは、具体的にどのような方法でこどもの姿や育ちを捉えるかということに反映されるのだと思います。

例えば、こどもとは能力的に未発達な状態であり、段階的に何らかの能力を習得していく存在であるというこども観・発達観を抱く場合、こどもが特定の能力を習得しているかどうかを判断するために「この段階では、これができていると望ましい」という基準を設け、「できたーできていない」を捉えるために、客観的に観察可能な数値などの方法を用いて捉えていくことになるでしょう。
また、権威ある立場の人(「先生」と呼ばれる立場の人)が特定の理論に基づき「できたーできていない」を捉えていくような方法もあります。いずれにせよ、こどもの外側に何らかの基準を置き、それに基づいて発達を捉えるという方法を用いることになります。

では、レッジョ・エミリアの幼児学校のように、生まれながらにして〝100の言葉〟を持っており〝研究者〟として世界を探求しているというこども観・発達観を抱く場合、具体的にどのような方法を用いてこどもの姿や発達を捉えていくことになるのでしょうか。そこで大きな意味を持つのが「ドキュメンテーション」です。


☆ドキュメンテーションとは?
こどもたちが〝100の言葉〟を生み出し、〝研究者〟として世界を探求する姿を捉えていくための「ドキュメンテーション」とはどのようなものなのでしょうか。

簡単な言葉でまとめると、写真や映像、こどもの呟きなどが載せられ、その瞬間に何が起こったのか、それがどのような意味や価値を持つのかが生き生きと伝わってくるものである、と言えます。
国内での事前研修では「学びの瞬間を切り取るもの」という言葉で教わりました。

最終的にまとめられる形としては、冊子や動画、パネルなど様々な種類があります。けれど忘れてはならないのは「できあがったものではなく、できあがるプロセスに読み手が注目できるように、学ぶ過程を見せるように」つくるという視点。
↑こどもの個人情報に当たるため写真撮影はできず、したがって幼児学校視察中の限られた時間でバババッと描いたドキュメンテーションの写しです📝
伝えたいことがまだまだあって清書する時間が惜しいため、研修で使ったノートをそのまま載せたいと思います💦少しでも雰囲気が伝われば…。。

実際のドキュメンテーションは、幼児学校の入口やホールなど至る所にパネルのような形で貼られていました。それだけでなく、冊子にまとめられたものなども置かれておりこどもたち・保護者・先生がそれぞれ「どんな活動が行なわれているか・行われてきたか」を対話し合えるような環境作りがなされています✨

ノートにメモした先ほどのドキュメンテーションは、こどもたちが活動するクラスルームに貼られていた、ザリガニについてのプロジェクトの様子をまとめたものです(一部省略しましたが)📝
ザリガニとの出会いの様子を写したような4枚の写真が、ドキュメンテーションの冒頭にありました📸

①1人の男の子が少し怖がりつつも興味ありげにペンでザリガニを突く
②次に友達と一緒にペンで突く
③教師?保護者?とこどもたちがザリガニの様子を観て喜んでいる
④ザリガニの様子を観察しながら、みんなで絵を描いている
…という一連の流れを、ドキュメンテーションを見ることで読み取ることができます。
↑ザリガニをたっぷり観察したこどもたちは、絵の具・粘土・銅板・砂絵(ライトテーブルの上に砂を撒き、指でなぞって描く)で表現をしていったようで、それぞれが作ったものの写真が載せられていました✨
↑画面の中での左側、男の子が手を広げている4枚の写真が貼られていました📸手の動きで、ザリガニを観察して気付いたことを伝えているのでしょうか😳
そして下には、彼がその時に呟いたであろう言葉が正確に記されていました📝残念ながらイタリア語が読めないので詳しくはわかりませんが、ここまで細かく先生がこどもの呟きを記録していたということが分かります‼️

いかがでしょうか。
私のメモなので分かりにくいですが、このように一目見るだけで、こどもたちが探求し、発見し、表現していく姿が生き生きと伝わるものーそれがドキュメンテーションなのです。
↑もう一つ、ぜひとも紹介したいドキュメンテーションがあります。
それは、先ほどとは別の幼児学校にあったもので、こどもたちのクラスルームから隠れ処的な2階のコーナーへと続く階段(右側がスロープ、左側が階段になっている。)に貼られていたものです。
先ほどよりも超短時間で描いたため、絵のクオリティがさらに落ちますが…😅笑

①階段で互いに顔を見合わせて会話するこどもたち
②階段の中伏にあるスペースの窓からお母さん?と会話しているこどもたち
③段差を慎重に降りるこども、股の間から後ろを覗き込むこども
④スロープと階段それぞれを登るこどもたち
…が、それぞれ写真におさめられています。

「階段で生まれた〝物語〟を 先生たちは見逃さない」という殴り書きで残してありますが、これは私がこの写真を見て感じた言葉です。
何気ない日常の中でスルーされてもおかしくないような、けれどそのこどもたちにとって大きな意味を持つ〝決定的瞬間〟。それがこのように写真で残っているということは、この幼児学校の先生たちがしっかりとそこに意識を向けていたからに他なりません。

本物のドキュメンテーションは言葉の違いを越えて伝わるものだということを学びました✨


☆〝意味のある一瞬〟を捉えるために…
このように、生き生きとこどもたちの〝決定的瞬間〟が伝わるドキュメンテーションが生まれる背後には、先生方の絶え間ない努力と探求があることを忘れてはなりません😌

前回のブログで「こどもを〝研究者〟として捉える」という話をしましたが、実際にこどもたちと関わる場面では、先生の側も〝研究者〟
こどもたちが活動の中で探求・発見・表現をしていくような発達の有り様を捉えるべく、先生はこどもたちの様子を写真や動画に撮り、活動の中での様子ややり取りをメモし、呟きをボイスレコーダーで録音します。
↑これは「サッカー選手を粘土でつくる」という活動をした時に、こどもたちの様子を先生がメモしたものとのこと。1人ひとりの制作過程が縦軸を見てわかるよう記録されています📝
👁👁のマークは、そのこどもが別のこどもの活動の様子を見て参考にした箇所とのこと。模倣することも、こどもの育ちの中で大切なこととして受け止められています✨

当然、〝決定的瞬間〟は、いつ起こるかわかりません。また〝決定的瞬間〟は、必ずそれまでの流れがあってこそ起こるものです。だからこそ先生には、常に〝いま、ここ〟へと眼差しを向けるような姿勢が求められることになります。


☆〝いま、ここ〟への眼差しは磨かれる
「え、じゃあ、レッジョ・エミリアの先生は最初から〝いま、ここ〟〝決定的瞬間〟を捉える眼差しが豊かなの⁉️」と思うかも知れません。「自分には無理‼️」と哀しくなるかも知れません。
でも大丈夫。当然、誰もが「最初からできる‼️」なんてわけありません。

高等専門学校の保育士養成課程で学んだ幼児学校の先生は、学生時代を振り返って次のように語りました。

「デジカメがなかった当時は800枚くらい写真を撮ったわ。そして、その中から4枚だけしかドキュメンテーションに載せる写真は使われなかった。『写真を見ればプロセスがわかるような撮り方をしなさい。たくさん、やたらめったら撮れば良いという問題ではない』と教わったけれど、当時はどこにフォーカスしたら良いかわからなかった。何を撮っているのかを見極める目。それがないと意味のない写真になってしまう。目の付け所が大切ということに、だんだん気付いたの。」

また、ドキュメンテーションは自分で書くだけでなく、同僚とも共有し、どのような育ちの様子が見て取れるのかを一緒に考えるのだそう。さらにはドキュメンテーションのつくり方についての研修もあるようです。
経験や研修での学びを積んでいくことに加え、同僚との対話の中でさまざまな視点や感性を取り入れていく…こうして〝いま、ここ〟へと眼差しを向け、〝決定的瞬間〟を捉えることができるようになっていくのだと感じました✨


☆まとめ
いかがでしたでしょうか。今回のブログを通して、少しでもドキュメンテーションとは何かを知っていただけたら幸いです😊
プロジェクト型の活動、アトリエ、たくさんの素材に目を奪われがちなレッジョ・エミリアの幼児教育。それらも、改めて言うまでもなく素晴らしい。
けれど、そのどれよりも、何よりも大切だと個人的に思うのが、このドキュメンテーションです。

ドキュメンテーションをつくるのは決して楽ではありません。けれど、それをつくり続ける背景には、「こどもは決して未熟な存在ではなく、こんなにも世界を探求し、次々と素敵な表現を生み出してゆく力を持っているんだ」というこども観や、「結果や数値だけを観てこどもの発達は捉えることはできない。プロセスの中でこそ育ちが起こっている」という発達観を、実践・実証し、誰でも一目見て伝わるまでにまとめ上げて発信し、理解を広めていこうという先生方の情熱や飽くなき探求心があるように思います。


本物のドキュメンテーションから伝わってくる魅力や感動、エネルギーは、こどもたちと先生方という双方の〝研究者〟が奏でるハーモニーの賜物なのだなぁと感じました✨