12日(土)JR宇都宮駅西口で今回の震災に関する支援活動として、救援募金活動を行いました。小学生や中学生、若いカップルの二人などが財布の中から寄付をしてくれることに感動しました。また、今回、福島から避難してきている方が、私たちの活動に感謝をしながら寄付をしてくれたことにも感動でした。
今、多くの市民が、何かをしなければと思っています。しかし、具体的に何をしたらいいのかがわからずにいることも確かです。行政は、効率性や正確性を求めるばかりに、対応が遅れがちです。民間の対応の方がはるかに迅速であることは確かです。でも民間の活動は、資金的に限界があります。行政の手が入るまでの対応と言えば理解ができますが、それにしても行政の対応の鈍さにはいら立ちさえ感じます。
これで本当にいいのでしょうか・・・。天災が人災にならないことを願っています。
昨日報告しましたように、今回緊急避難所になった旭中学校は、私が4年前まで勤務していた学校です。したがって、避難所で作業にあたっていた先生方や卒業生たちは、よく知った皆さんでした。
ところで、昨日、朝早くに市内のある小学校を伺いました。
体育館が地震によって破損して、17日の卒業式の実施が不安であるとのことでしたが、その後教育委員会を訪れ、それらの対応を確認したところ、教育長自ら、卒業式は全校とも実施できるように修繕をするとの確約をいただいたところです。
学校を訪れた際に、校長先生から耳を疑うような話を聞きました。11日の地震発生当日、学校は、児童生徒を校庭に安全に避難させた上で、誰一人けが人を出すことなく帰宅させました。しかし、保護者の中には、学校まで迎えに来た方もおりましたが、「なせ余震がおさまらない中を下校させたのか」、また今週の月曜日には、「福島から放射能が降り注ぐのになぜ登校させるのか」などのクレームが多数届いているというのです。
地震発生の日には、子供たちを怪我させることなく無事に帰してもそのことへの感謝の言葉はなく、また月曜日には放射能が降り注ぐとの風評の元に学校を責め、火曜日には、登校にあたって帽子をかぶらせる指示がないことを責めるなど、そうした保護者の存在にただただ驚いた次第です。
学校が災害時の避難所となっている以上、その際に現場での活動のリーダーとなるのは学校の先生であることは間違いありません。なぜならその学校施設のことを一番よく知っているのは、その学校の先生だからです。
また、若者のボランティアも、先生がいるからこそ地域の若者たちがその現場に参加しやすくなることも事実です。
つまり、本来「学校が持つ力」を行政はもっと認識すべきなのです。学校を市民の不満のはけ口にして、クレームをつけるところにしてはいけないのです。もっと住民も行政も「学校が持つ力」を認識すべきです。