ミュージカルは元々輸入したものだが、本来はミュージカルも和製が良いと思っている。
宗教や文化の面で、必ずしも完璧に理解できるとは言い難いし、日本語が乗るのに美しい旋律というのは、やはり洋楽とは確実に違う。
だけど、素晴らしい曲を作り、素晴らしい脚本を書いて、素晴らしい振り付けをするのは、単純に考えて単にヒット作を作るのの三倍大変な作業だ。
日本ではロングランするのが難しい(て言うか、ほぼムリ)という劇場事情を考えれば、素晴らしい和製ミュージカルを次々生み出すというのは、かなりハードルが高いのが現実だろう。
なもんで、海外でヒットしたものを翻訳して上演する事が多くなるのだが、良く考えてみると、どうしてもムリヤリな部分もチラホラ見受けられる。
例えば、曲のフレーズと日本語のフレーズが合っていない、なんてのは良くある話。
作曲家は作曲家で完全なストーリーを曲の中に織り込んであるのが普通で、だから楽譜通りに歌えば完璧にドラマチックになるハズなのだが、そこを日本語の歌詞の物語に合わせて歌うと、作曲家の意図したのとは違う曲の展開になってしまう。
歌詞というのは、日本語に翻訳した時点で、意味が三分の一位にまで減ってしまうと言われる。その上で、一つの音符に一つのひらがなしか乗らない不便な日本語の、文字数と音符の数を合わせていかなければならないのだから、それはそれは気の遠くなるような困難な作業だろう。
脚本でも、最近いくつか気になった言葉があった。
刑事物の海外ドラマで良く見る、犯人が潜伏していると思われる建物に、数人で銃を持って突入する場面。
建物の中で分散して各部屋を調べ、異常が無ければ各々が「クリア!」と叫ぶのだが、最近の新しいドラマで、その部分を「居ない!」と叫んでいた。
んー、なんか違和感。「クリア」には「安全を確保したよ」っていうニュアンスが入っている。犯人が「居ない」というのとはちょっと違う気がする。
せっかく浸透してるんだから、わざわざ日本語に直さなくてもいいんじゃないかねえ。
他にも、「~だろ。少年」って言うやつ。多分、英語では「ボーイ」って言ってるんだと思う。「ボーイ」だと小馬鹿にした様なニュアンスだが、日本語の「少年」には
小馬鹿にするニュアンスはまるで無い。
じゃあなんて言ったらいいか考えてみると、「ガキ」だと小馬鹿というにはキツイ感じがするし、「小僧」だと美輪明宏に言われてる感じがしてしまう。
それもこれも、日本語が繊細過ぎるせいだと思うが、しっくり来る言葉を探すというのは、かなり骨の折れる仕事のようだ。
和製ミュージカルなら、そう言った問題がいっぺんに解決するのだが。