悪女な時計
ジュエリーは、女が本能のおもむくままに選んでしまっていいもの。しかし腕時計は、逆に理性なしで選んでしまってはいけないもの……今までずっとそう思っていた。
宝石は100%女のものだが、時計は本来が社会性ある男の道具。女にとっても時計は "自分が誰であるか?" を語る名刺のようなものだった。
だからある種意図的に、折目、正しい印象の時計を選ぶための理性が必要だったのである。
ところが近ごろとても気になるのは、明らかに理性ではなく本能で、ドキドキしながら手にしてしまいそうな時計……。自己主張の強い、ちょっと悪女な顔をした時計だったりするのだ。
時計って、どんなにデザインが凝っていても、どんなに贅を尽くしていても、どこかで人の腕に自らなじもうとするのに、そういう時計は "曖昧な配慮" など無意味だと言わんばかりに、強烈な存在感を突きつけてくる。
そのフェイスには大胆不敵なアイディアがたっぷり盛りこまれ、ベルトは女の手首をすっぽり覆ってしまうほど幅広い。なのに素材はあくまで最高級。
とことん高級品なのに、そういう適度なスキが、その派手さを "けれん味" のないものに仕上げてる。
つまりまったく規格外の高級品……そういうものに今、妙に心惹かれるのだ。
今までは、たとえば清楚な服には清楚な時計しか合わなかったのに、最近は逆に清楚同士じゃ全然物足りない。あえて派手な時計を合わせたくなっている。
それも今はオシャレにおいて、ひとつの体に "エロカワイイ" 的に "天使と悪魔" を両方併せもつのが洗練の決め手となったから。
名刺としての時計もただ折目正しいだけではつまらない。どこか悪女っぽいくらいの危うさが、プロフィールの奥ゆきとなる時代なのである。
ましてや一日何度となく、意識的に目にする時計のフェイスは、いっそそこまで力強いほうが面白い。時計を見るたび、目が覚めて、表情が冴えて、何か勇気づけられる。
そんなインパクトあるデザインこそ、新しい "時計効果" と言っていいのだろう。だから今、少し悪女な時計が眩しい、欲しい時代なのである。
齋藤 薫「少し悪女な時計が眩しい時代」
さいとう かおる
女性誌編集者を経て美容ジャーナリストヘ。美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。
『こころを凛とする196の言葉」(ソニーマガジンズ)、『女のひとを楽にする本』〔主婦の友社)、『素敵になる52の "気づき"」、『「美人」へのレッスン』(ともに講談社プラスアルファ文庫)など女性の "美" についての著書が多数。
SKYWARD
2006年6月号
JALグループ機内誌