6月の光
 
「さあ、できましたよ」
介添え人の声にはっとして顔を上げると、鏡の中には純白のウエディングドレスに身を包んだ花嫁姿の自分がいた。
あと数分で式が始まろうとしている。だが、智子の表情はどこか浮かない。
両親に反対されたままの結婚式。自分が言い張ったことだから覚悟はしていたものの、父も母もいない結婚式はやはり寂しいものだった。
「映画なんて、どうやって食べていくつもりなんだ」
智子の夫となる賢治は、大学時代から一緒に映画をつくり続けてきた仲間。会社員となってもやはり映画を捨て切れず、ニューヨークの大学で映画を学び直したいという賢治の夢に、智子は賛同した。
会社をやめ結婚、そして留学という道を選ぽうとしている娘に、真面目一本槍でひとつの会社に長く勤めてきた堅実な父が反対するのも無理はなかった。
「この結婚を俺は認めない。式も当然出ないぞ」
あまりに頑(かたくな)な父に、母も何も言えないまま。智子はふたりの出席をあきらめていた。そのとき、ドアの開く音がした。
「お母さん !」
母は微笑んでゆっくりと智子のそばへ歩み寄り、ほれぼれと眺めた。
「やっぱりきれいねえ、花嫁さんって」
思いがけないこの状況を理解するのに、智子は暫くかかった。
「お父さんがね、お前だけでも出てやれって」
「お父さんが ? そう言ったの ?」
やっと智子は言葉を発した。
「昨夜はやけにお父さん弱気でね。何を言うのかと思ったら、お前、俺と一緒になったことを後悔してるんじゃないかって、突然言うのよ」
何の話だろう。そんなことを言う父を智子は想像できなかった。
「実はね、お母さん、お父さんと結婚する前、別の好きな入がいたの。絵を描いている人でね、自由そのものの人だった。お父さんはそれを知っててプロポーズしてくれたの。悩んだ挙句、お母さんはお父さんと一緒になることを選んだ。でもお父さんはあのときお母さんがその人と一緒になっていたらもっと違う入生があったんじゃないかと今でも思うって言うのよ。自分との平凡な人生をお母さんが後悔してるんじゃないかって」
父と母にそんな過去があったなんて。智子は息をのんだ。
「だからせめて智子には好きなように人生を選ばせてやるべきだ、って。智子には智子にしかわからない世界や生活があるんだろう、それを俺は尊重してやらなくちゃいけないなあって」
智子は何も言えずただ胸が熱くなった。
母は青い箱を取り出した。中には真っ白に輝くパールのネックレスが入っていた。ブルーのチャームも付いている。
「サムシングブルーっていってね、嫁ぐときに花嫁がブルーのものを身につけていると幸せになれるっていうおまじないが、ヨーロッパにはあるんですって」
母が智子の首にそっとネックレスをつけると、ブルーのチャームが奥ゆかしく揺れた。
「これ、お父さんからなのよ。式にはやっぱり行けないからって」
さっきまで曇っていた空が突然明るくなり、白い光が窓から差し込んできた。ドアの向こうからは友人たちのざわめきが聞こえてきて、廊下を足早に駆けてくる式場スタッフの気配がする。
「花嫁さん、そろそろお願いします」
スタッフの声に、智子は立ち上がった。
「お母さん、お父さんと結婚したこと、後悔してる ? もっと別の人生があったんじゃないかって、思ってる ?」
堰(せき)を切ったように智子は言い、母の顔をじっと見つめた。
「お母さんは、不器用なやり方だけどいつも家族を守ってきたお父さんを誇りに思ってるの。だから別の人生なんて考えなかった。お父さんと智子との生活がお母さんには宝物だったのよ」
穏やかななかにも潔さのある母の顔を、智子は美しいと思った。
「さあ、智子。行きなさい。あなたの人生は誰のものでもない。あなたが選ぶのよ」
智子はドアを開けた。天窓からの陽光がまっすぐひと筋の道のように廊下を照らしていた。胸元の青いチャイムをぎゅっと握りしめ、智子は自分が選んだ人生への最初の一歩を踏み出した。
Mikimoto Pearl Story
SKYWARD
2006年6月号
JALグループ機内誌