いれずみ物語 | 月かげの虹

いれずみ物語


つかの間の休みを、患者のことは忘れて思いきり楽しもうと、その若い看護師は友人と一緒にバリ島へ飛んだ。

そこで開放感を存分に味わい、旅の思い出の印としてtattooshopで左上腕にヘナによるいれずみをしてもらった。いわゆるhenna tattooである。

それはー時の旅の思い出として、いずれははかなく消える秘やかなアヴァンチュールであった。

デザインとして選んだ富と吉祥の女神ラクシュミ Lakshmi の出来栄えも良く、結構満足して帰国した。

最近、若者がファッションとしていれずみを入れるのが流行している。いれずみには踏み切れないまでも、その華やかさ、個性を訴えるインパクトの強さにあこがれる若者も少なくない。

それでヘナあるいはシールなどを用いて描くいれずみもはやっている。これらはbodypainting,body ornament(身体装飾)あるいはpseudotattoo(偽いれずみ)などと呼ばれるが、これだってれっきとしたいれずみである。

江馬 務は、いれずみ(剳青)を3種に大別できるとし、瘢痕として図様を描くもの、色彩を皮膚に塗るもの、およびいわゆるいれずみ(江馬はこれを刺青と記載)を挙げている。

また白川静も文身の方法に、朱や黒などで一時的に文様を描き加える絵身、狭義のいれずみを意味する黥涅、および傷痕を文様化する瘢痕の3つに分けている。

そのうち絵身は儀礼的な目的をもって描かれることが多いことも指摘している。

さて、ヘナhennaはミソハギ科に檎し、日本名では指甲花であるが、本邦でもヘナが一般的である。

学名はLausonで、Lauson inermisなど4種の亜種がある。ヘナの葉の発色物質ナフトキノン系色素を分離した学者 Lauson の名が冠せられている。

ヘナ色素はヘナの葉を乾燥し粉にして用いるが、モロッコ、スーダン、エジプトなど、北アフリカ、西南アジア、インド、パキスタンなどで産生される。特にインドのラジャスタン Rajasthanのブランドものが名高い。

ヘナ利用の歴史はきわめて古く、聖書にも雅歌(1.1-14)のr†1に、「おとめの歌」で  "恋しい方は薫り高いコフェル(ヘブライ語Kopher : ヘナのこと)の花房 エン・ゲディのぶどう畑に咲いています" とある。

500O年以上も前からgiving treeとして健康・身体装飾・化粧あるいは悪霊除けなどなど、きわめて多くの目的に用いられた。

クレオパトラの香水としても知られ、彼女は爪もヘナで染めていたと言われている。

ヘナは主としてイスラムやヒンズー教の人びとの間でそれは利用されてきた。インドではMehandiと呼ばれ、伝承医学であるアーユル・ヴェーダの薬として、あるいは結婚の際にヘナは花嫁の手足を飾ってきた。

ヘナ色素はヘナの木の亜種によって、その色調は異なるが、オレンジ・赤が基調で黒のニュァンスはない。黒っぽい色調が望みであれば、ヘナに他の何らかの物質を混ぜることになる。それがblack hennaである。

タンニンを含んだお茶の葉、インスタントコーヒー、炭粉などが加えられるが、しばしば髪染めに川いられるβ一phenylenediamine (PPD)が混ぜられ黒い色素になる。

ヘナ自体ではあまり皮膚にカブレは起こさないが、これら添加された物質でしばしばカブレすなわちアレルギー性接触皮膚炎が発生する例が増えてきた。

件の看護師のいれずみは、帰国後秘かに白衣の下に留まっていたが、10日目の深夜勤務のことであった。静かな病棟で体温表を記入していた折、彼女はひょっと左上腕にかゆみを覚えた。

手をやるとなにやら少し皮膚がおかしい。そっと白衣の袖をたくしあげて見てみると、いれずみの部分の、あの女神ラクシュミがその格好のまま線状に赤く腫れ上がっていた。

触っているうちにかゆみが増し、ほっとけなくなって、翌日しぶしぶ皮膚科外来の知り合いの医師に相談した。まぎれもない「接触皮膚炎」であった。いれずみの染料ヘナによるカブレである。

幸いステロイドによる治療でそれはもとのいれずみに戻った。そのいれずみもバリの思い出とともに薄れてしまった半年後のこと、同僚の結婚披露宴に出席するために美容院で髪を染めたところ、またぞろ左腕のラクシュミが暴れ出し、同じ皮膚炎に苦しんだ。

皮膚科医はカブレの原因を明らかにするために、純粋なヘナ色素とPPDを材料にして皮膚貼付試験をした。その結果PPDにのみ皮膚は紅く反応し、検査陽性を示した。

彼女のいれずみにはblack hennaが用いられていたのである。それにしても2度目のカブレはなぜ起こったのだろうか。

black hennaの成分は、皮膚の角層と反応していれずみとなるわけであるが、その角層が垢となって消えるのと運命を共にする。すなわち、いれずみの局所にはヘナもPPDも普通は残らない。

それでヘナいれずみは一時的なものなのである。彼女の場合、最初のカブレで皮膚が炎症を起こした際、ヘナ成分が皮膚に侵人し残留していた可能性が強い。

それでPPDに反応する準備状態(これを感作されたと専門用語でいう)になったのではないか。そのような状態の皮膚に、髪染めに含まれていたPPDがf乍用して局所皮膚がカブレたのであろう。

今日、日本においてヘナは医薬部外品あるいは化粧品としても認可されていないので、雑品として輸入されたものが用いられる。自然のヘナ色素ばかりでなくいろいろなものが混ざっていることがある。特にblack hennaによるトラブルが今後増えるかもしれない。

植物によるいれずみは何もヘナの専売特許(この言葉はすでに死語?)ではない。斎藤茂吉の自伝小説『念珠集』に漆によるいれずみ話が出てくる。

小学校の帰り道の出来事である。
「漆の芽を摘み取ると芽の摘口から白い汁が出てきた。……前膊の内面のところに漆の汁で女陰と男根を描いた。……次の日の朝みんなが集まって腕の絵を見せ合って大声で笑った。絵のところだけが黒くなっで乾いたから、きのうに較べてはっきりして来ている」

それはヘナよりもっと強い色であったろう。ウルシオールという物質が空気に触れ、酸化されて暗褐色に変色し秘密の絵が浮き出たのである。

もっとも茂吉だけは漆カブレの前歴があり、黒いどころか、その男根は赤く腫れて、かゆくなってしまったという話である。

茂吉の男根図はかさぶたとなり、父親に治療してもらうこととなった。その後、この小さな男根は瘢痕となり高校のころまで残り、やがておぼろになって消えたという。漆による絵身いれずみに瘢痕いれずみが加わった稀有な例ではある。

人が植物からの染料で皮膚にいれずみをする話をしてきたが、逆に人が、植物の葉にいれずみをする話もある。

「多羅葉(タラヨウ)」という木がある。モチノキ科の」常緑樹で、当大学の本部玄関の横にも一本の大きなタラヨウがある。木の葉はやや厚く、その裏は白っぽい。そこに少し力を入れて、尖ったもので文字を書くと、やがて褐色から、黒に変じて文字が浮かんでくる。まさにいれずみである。

昔、戦国時代に武士が留守家族に便りを出す時に、この木の葉を用いたという。それでこの木には「ジカキシバ」「エカキシバ」の名もあり、「葉書の木」ともいわれ、それは葉書の語源とされている。

そういう訳で、平成9年から「郵便局の木」にもされている。

また江戸時代には「はしか」の御守りの一つとして、タラヨウに「麦殿は生まれたままにはしかして、かせたるのちは我がみなりけり」と書き、患者の名前と年齢を加えて川に流したという。

この文字を浮かび上がらせる黒い色素は、おそらくタンニンを含む植物の防御タンパクの一つだろうと知り合いの理学部教授が教えてくれた。

たしかに傷つけた文字の部分から、日ごとに黒い部分が緑を押しのけて広がっていく。タラヨウの葉にとってもいれずみは痛いのである。

小野 友道「ヘナによるいれずみ」
(熊本大学理事・副学長)
いれずみ物語 5

主要文献
1)井上雄二、横山真為子、行徳貴志、小野友道:西日皮膚、64;284、2002
2)江馬務:「剳青の史的研究」「江馬 務著作集 第四巻」、中央公論社、1976
3)木村裕、角田孝彦: 皮膚臨床、43; 216, 2001
4)酒井シヅ:「はしか絵」「CLINICIAN」、51(526);5, 2004.
5) Norma P.Weinberg: Henna from head to toe!, STORY BOOKS, Vermont, 1999.
6)Le Coz CJ, Lefebvre C, Keller F, Grosshans E: Arch Dermatol, 136; 1515, 2000.
7) Lestringant GG, Bener A、Frossard PM: Brit J Dermatol, 141+573.1999.

大塚薬報 6月号
2006/No.616
大塚製薬工場