超自然的原理
 
西洋という文化圏の特殊さ
哲学を不幸な病気だと考えることが、わたしにとっては「哲学とは何か」を考えてゆく上での出発点になっているかもしれません。
よく、日本には哲学がないからだめだ、といったふうなことを言う人がいますね。しかし、わたしは、日本に西欧流のいわゆる「哲学」がなかったことは、とてもいいことだと思っています。
たしかに日本にも、人生観・道徳思想・宗教思想といったものはありました。そして、西洋でもこうしたものが哲学の材料にはなっていますが、これがそのまま哲学だというわけではありません。
「哲学」という言葉の由来や性格や意味についてはあとでゆっくり考えなければなりませんが、いまは哲学とは、そうした人生観・道徳思想・宗教思想といった材料を組みこむ特定の考え方だということにしておきましょう。
あるいは、哲学とは、「ありとしあらゆるもの(あるとされるあらゆるもの、存在するものの全体)が何であり、どういうあり方をしているのか」ということについてのある特定の考え方、切り縮めて言えば「ある」ということがどういうことかについての特定の考え方だと言ってもいいと思います。
こうした考え方が、西洋という文化圏には生まれたが、日本には生まれなかった。いや、日本だけではなく、西洋以外の他の文化圏には生まれませんでした。
というのも、そんな考え方をしうるためには、自分たちが存在するものの全体の内にいながら、その全体を見渡すことのできる特別な位置に立つことができると思わなければならないからです。
いま、「存在するものの全体」を「自然」と呼ぶとすると、自分がそうした自然を超えた「超自然的な存在」だと思うか、少なくともそうした「超自然的存在」と関わりをもちうる特別な存在だと思わなければ、存在するものの全体が何であるかなどという問いは立てられないでしょう。
自分が自然のなかにすっぼり包まれて生きていると信じ切っていた日本人には、そんな問いは立てられないし、立てる必要もありませんでした。
西洋という文化圏だけが超自然的な原理を立てて、それを参照にしながら自然を見るという特殊な見方、考え方をしたのであり、その思考法が哲学と呼ばれたのだと思います。
そうした哲学の見方からすると、自然は超自然的原理……その呼び名は「イデア」「純粋形相」「神」「理性」「精神」とさまざまに変わりますが……によって形を与えられ制作される単なる材料になってしまいます。
もはや、自然は生きたものではなく、制作のための無機的な材料・質料つまり物質になってしまうのです。超自然的原理の設定と物質的自然観の成立は連動しています。
しかし、自然とは、もともとは文字どおりおのずから生成してゆくもの、生きて生成してゆくものです。
それが、超自然的原理を設定し、それに準拠してものを考える哲学のもとでは、死せる制作の材料になってしまう。
そういう意味で哲学は自然の性格を限定し否定して見る反自然的で不自然なものの考え方ということになります。
先ほど、わたしは「哲学」を否定的なものとしてしか考えられないと言いました。いったい、哲学は何を否定しているのでしょうか。
やはり、自然に生きたり、考えたりすることを否定しているのだと思います。ですから、日本に哲学がなかったからといって恥じる必要はないのです。むしろ日本人のものの考え方の方がずっと自然だったということになりそうです。
むろん、西洋でもはじめからそんな反自然的な考え方をしていたわけではありません。
古代ギリシアの早い時期、通常「ソクラテス以前の思想家」と呼ばれているアナクシマンドロスやヘラクレイトスらの活躍した時代のギリシア人は、そんな反自然的な考え方はしていなかったようです。自然がすべて、万物は自然だと見ていました。
ところが、ソクラテスやプラトンの時代に、たとえばプラトンの言う「イデア」のような自然を超えた原理を軸にする発想法に転換します。
プラトン以来、西洋という文化圏では、超自然的な原理を参照にして自然を見るという特異な思考様式が伝統になりました。
先ほど言ったように超自然的原理の呼び名は、さまざまに移り変わりますが、その思考法だけは連綿と承け継がれます。その発想法が哲学と呼ばれ、西洋における文化形成の軸になってきたわけです。
19世紀後半、二ーチェがこのことに気づきました。彼はもともと、古典文献学の勉強をした人で、その主要な研究テーマはギリシア悲劇の成立史でしたが、このギリシア悲劇の成立期は「ソクラテス以前の思想家たち」の活躍した時期でもあったので、彼の関心はこの思想家たちにも向かいます。
一方で二ーチェは、彼の時代のヨーロッパ文化がゆきづまりにきていると見て、その原因をさぐります。彼はその原因が、超自然的原理を立て、自然を生命のない、無機的な材料と見る反自然的な考え方自体にあると見ぬきます。
二ーチェは、西欧文化形成の根底に据えられたそうした思考法が無効になったということを「神は死せり」という言葉で宣言しました。ここでは、「神」とは「超自然的原理」を意味しています。
そして彼は、万物をおのずから生成する自然と見ていたギリシアの古い思想を復権することによって、目前にあったヨーロッパ文化の危機を打開しようとしました。
ハイデガーやメルロ=ポンティやデリダといった20世紀の思想家はすべて、多少なりとそうした二ーチェの志向を承け継ごうとしています。
二ーチェにとって「哲学」は超自然的思考を意味し……二ーチェは「プラトニズム(プラトン主義)」とも呼んでいます……その批判が彼のほんとうのねらいでした。
つまり、彼は「哲学批判」「哲学の解体」「反哲学」を提唱しようとしていたのです。もっとも、「反哲学」なんていう言葉を使うのは、後期のメルロ=ポンティだけですがね。
こうした「哲学批判」「反哲学」なら、われわれ日本人にもよく分かるのです。超自然的原理を設立してものを考えるなんて習慣はわれわれにはありません。ですから、「哲学」を理解することはムリでも、「反哲学」なら分かるということになるのだろうと思います。
木田 元「反哲学入門」
哲学は西欧人だけの思考法である
波 2006年6月号
新潮社
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