土佐学のすすめ
地域学という言葉がある。
英語では、グローカロジー(Glocalogy)というらしい。
“世界を視野に入れた、地域に根ざした学問”という意味であるが、単なるローカロジー(Localogy)でない点がミソである。
地域と海外が東京を介さず直接、かつ容易につながるあり方を示唆した言葉であり、たとえていえば江戸期、徳川幕府は鎖国を標榜していたが、平然とアジア各国と盛んに貿易と交流を行って力と富と情報を蓄えていた薩摩がその好例である。
「地方」と違い、「地域」はそもそも「東京」の反意語ではない。
東京も関東地方の一地域であり、他の地域と対等の関係にあることはいまさらいうまでもないことだが、これからの地域のあり方を考えるとき、この地域学という概念はきわめて重要な意味をもつことになるだろう。
明治維新以来、一般に「学」といえば、西洋からやってきたものをそっくり真似て、発電所である東京から、配線によって全国津々浦々に広げてきた。しかしそんなやりかたはすっかり陳腐化してしまった。
また外からの大手資本による一時的投資によらない、いわば内発的発展こそが地域の本当の自立を可能ならしめるという点でも、地域の学問、つまり地域学の力が必要となる。
奈良法隆寺の名工・西岡常一(故人)しかり、「森は海の恋人」で有名な気仙沼の牡蠣漁師・畠中重篤しかり、大分の湯布院に奇跡をもたらした中谷健太郎しかり。こういった地域の風土に根ざした地域学は、軽佻浮薄なる頭だけの「学」とは一線を画して、隆として起立しているようにわたしにはおもえる。
土佐の場合の「土佐学」、これをあえて「土佐派」と呼ぼう。
「土佐派」とは、いい言葉である。たとえば京都には学問や芸術・文化の世界に独自の「京都派」「京都学派」があり、東京、あるいは東京的なもの、官僚的なものや権威へのアンチテーゼとして存在する。
この伝でいえば、土佐派の特長は、異端だがかなりの実力があり、野性的で華美を好まず、本質を鋭く衝く野太さ、力強さが際立つ点だろうか。
さて、土佐には「土佐派の家」という建築家の一派があり、かれらの伝える伝統的な技や手法がすでに「学」の領域にまで達しつつあることは高知の皆さんならご存知のはず。土佐の漆喰、和紙、杉・檜など土着の素材をふんだんに使った完全自然派住宅、百年住める野太くモダンな木造住宅である。
地域の建築家たちがひとつの派を形成して、それも地域に深く根ざしながら普遍的な価値を生み出している例は、おそらくほかにないだろう。
住宅とは、ひとが住む容れものにとどまらない。風土をまもり、景観をかたちづくり、地域の経済に影響をおよぼし、歴史や文化をきちんと伝承する、きわめて重要な役割を担っている。
わたしなどは映画のセットのような白々しく嘘っぽい何とかハウスは、ごめん蒙りたい。が、しかしこれが世の主流なのである。そしてこの歪んだ風潮にきちんと反旗をひるがえす運動が、「土佐派の家」なのである。
ほかにも、もっともっといろんな分野で「土佐派」がなければいけないとおもう。
そういうところに人材があつまり、みなが議論しつつ切磋琢磨し、「学」にまで高めてゆくことで地域学が確立される。そしてそれらが地域の内発的発展を導き出してゆくことだろう。
もちろん同時に、大事な「地域の誇り(プライド)」も醸成される。いいことづくめなのである。
さて、土佐派私案。
「土佐派の食」というのはどうだろう。
土佐の食のありようは、気候風土にほぼすべてを負っている。
温暖で、ものなりのよい肥沃な大地と豊かな海を抱え込んだ長い海岸線にめぐまれ、そのせいか繊細さや優美さを発展させなかったが、天然、素朴な食材を多く産し、加工に知恵をしぼり、あるいは豪快にさばいてみせる技が発達した。
それはまさに土佐派と呼ぶにふさわしい独特の食文化といえる。
また「土佐派の志」はどうか。
幕末から明治、大正、昭和初期ごろまでの土佐から出た傑物の「志」である。
「志」こそ、いまの日本人が失ったもっとも大きなものであり、土佐はこの専売特許といっていい。まさに宝庫なのだ。
坂本竜馬、中岡慎太郎、武市半平太、中江兆民、小野梓、植木枝盛、幸徳秋水、板垣退助、黒岩涙香、金子直吉、牧野富太郎、寺田寅彦、浜口雄幸、吉田茂、小島祐馬…。ああ、枚挙にいとまはない!
もういちど、これをきちんとした「学」として体系化して地域の人々が共有し、発展させなければいけないと、切実におもう。
そんなわたしの気持ちが伝わったのか、じつはいま、これら3つの土佐派を、大手出版社と共同でシリーズとして本にする企画が浮上している。実現できれば、「土佐学」の絶好のテキストになることだろう。
Text by Shuhei Matsuoka
http://nobless.seesaa.net/article/16803961.html