憲法改悪にものもうす
憲法改正に疑問の声を挙げる経済同友会終身幹事、品川正治さん(81)=東京都杉並区=の講演「憲法改悪にものもうす」がこのほど高知市本町3丁目の高新文化ホールで開かれた。
市民グループ「サロン金曜日@高知」の主催。講演内容を上下二回に分けて紹介する。
「敗戦」と「終戦」
私は大正13年生まれ。戦中派の戦中派だ。旧制高校に入ると、「勉強できるのはあと2年。兵隊に行き戦地で死ぬ」という思いが頭から離れなかった。
国が起こした戦争で、国民としてどう生き、どう死ぬのが正しいのか。それが最大の疑問だった。
前線の戦闘部隊で中国・洛陽から西安に進んだ。途中、部隊はほぼ全滅。私も迫撃砲の直撃で四発の破片を受け、一発は今も足に残っている。
捕虜収容所で、軍事指導者だった人たちは、日本政府が敗戦を「終戦」と呼んだことを「ひきょう」と訴えた。
対して私たちのような兵隊は、「これだけ苦しい目に遭い、これだけ大陸を荒らした。もう二度と戦争をしない。その意味で、終戦で構わない」だった。大論争の末、「終戦」で意見が一致した。
翌年、日本に戻ると既に憲法草案が発表されており、われわれは歓呼の声を上げた。(軍備および交戦権を否認する)9条2項を見て「国民の声。アジアの人に対する贖罪(しょくざい)の誓いだ」と喜んだ。
ぼろぼろの"旗"
日本は経済大国となったが、軍需産業中心の産業構造ではない。アメリカ、ヨーロッパの先進国は軍産複合体が中心だ。
日本の支配政党はずっと戦争ができる国になれないか、を考えてきた。自衛隊が生まれ、ガイドラインが論議され、特措法でインド洋やイラクに自衛隊を出し、有事立法ができた。
そんな意味で、既に9条2項の"旗"はぼろぼろ。それでも国民は旗ざおを離さない。それを離せ、と支配政党が言っているのが今の憲法改正問題だ。
9条2項は、「正義の戦争」を含め「戦争そのもの」を否定している。そんな国は世界でただ一つ。旗ざおを手放せば、地球上からこの思想が消えてしまう。
戦争を起こすのも人間なら、戦争を許さず止めようと努力するのも人間。確かに紛争は絶えないだろう。それを戦争にするかしないかは人間が選ぶこと。戦争にしないのが日本の思想だ。
紛争の種は人為的につくられる。ダイヤ、石油、ウラン……。何かが取れるところで紛争が起きれば、戦争になる。武器商人が猛烈に売り込み、戦争にしようとする強い力が働く。その後ろには、国際的な大資本の影が必ずある。
なぜ戦争が起きるかと考えれば、私は9条2項が21世紀においても普遍的な価値を持つ
と信じている。
価値観の違い
戦争とは一体、何か。論理的に説明すると三つの意味があると思う。
一つは「勝つための価値が、あらゆる価値に優先する」。平時には自由、人権と言うが、戦時には「勝ってから」。最も大切な命の価値さえ、勝つためには犠牲にせざるを得ない。
第二に、「あらゆるものを動員する」。労働力や科学、医学、生理学などすべてを動員する。
そして「戦争指導部門が最高権力になる」。勝つために、ほかの権力との均衡は崩れる。米国は今、戦争をしている。すべてを動員し外交、経済などを徹底的に押さえている。
「日本は米国と価値観を共有している」とマスコミも含め、ずっと言い続けてきた。小泉首相に至っては「米国の国益を守るのが日本の国益を守ること」と言っている。
そうだろうか。国の安全保障上、「日米安保条約」があるが、同じ価値観を持つからではない。同じ価値観という考えで間題を見ようとすると、混乱する。「価値観が違う」ということを基本に考えた方がいい。
品川正治「憲法改悪にものもうす」
戦争の後ろには大資本の影
米の国益が日本の国益 ?
「戦争を起こすのも人間なら、戦争を許さず止めようと努力するのも人間」と話す品川正治さん(高知市の高新文化ホール)
2006年5月31日付け
高知新聞朝刊
憲法改正に反対している経済同友会終身幹事、品川正治さん(81)=東京都杉並区=の講演の後半を紹介する。
「権力への自由」
資本主義も、米国と日本では違う。日本は米国のような覇権主義的な経済の在り方を取れない。平和憲法を持つ国として、アジアの覇権を中国と争うことは誤りだ。
冷戦後、クリントン大統領は次の敵を日本と言った。それから毎年、米側が「年次改革要望書」を出し、郵政、年金、医療をはじめとして、日本の資本主義を変えようとしている。
これまでの日本は経済大国を目指しながらも、資本家のための大国ではなく、格差をできるだけ作らない社会だった。
だがバブルが崩壊し、国民が閉塞(へいそく)感に包まれる中で、「改革」という言葉に乗ってしまった。
市場がすべて正しいという「市場原理主義」を経済政策の基本とし、規制緩和で「官から民へ」となだれ込んだ。
一番大きな問題は、資本家のための改革となっていること。
そもそも、市場にできないことはたくさんある。福祉や教育は人間の努力で行うものであり、市場がやるという話ではない。その点では市場原理主義は大変問題がある。
規制緩和も、「誰のため」という問題がある。通常、自由とは「権力からの自由」のこと。だが今の規制緩和は、大企業側が「権力への自由」を求めている。
日本の格差とは都市と農村、中央と地方のことだった。これまでは財政的に無理を重ねながらも国土の均衡ある発展を目指してきた。だが、それも切り捨てた。これが日本の置かれた現状だ。
支配政党は、改憲に向け国民投票を行おうとしているが、国民が改憲ノーと言うなら、今までの日本の支配政党がやってきたことが、ほぼ否定される。同時に日中、日米関係も変わるだろう。
日本は国民主権の国。「誰かが戦争を起こした」「誰かが改憲したからこうなった」という逃げ口上は許されない。
だから今、世界史的な大きな運動をしているという自覚を持ち、活動を続けてほしい。そうなれば、平和憲法を持つ国としての経済、外交を追求する形になる。そんな国を、子や孫に残したい。本当に世界に尊敬される国として残したい。
背景に中国の台頭
現在の経済界リーダーはほとんどみんな米国への留学経験があり、ほれ込んでいることは事実。確かに、かつての米国は他国のリーダーとして恥ずかしくない行動が多かった。
だが冷戦後は、私たちが承服できない価値観となっている。
9条2項に関しては、中国の台頭が背景にある。私は平和憲法を持つ以上、ヘゲモニー(主導権)を取り合うような経済を改めてほしいのだが、経済人には日本がアジアを仕切るという考えが根強い。
「中国になめられるのは軍がないから」で、軍隊がないことが欠陥という意識が財界主流にある。
しかし、経済人がすべて改憲賛成とは思わないでほしい。日本経済界には完全なヒエラルキー(階級制)があり、大手業者に対抗して出入り差し止めになるとやっていけない企業がたくさんある。
だが、(改憲に反対する)私自身は孤独感や孤立感はない。経済のトップで、もっと言ってくれという連中は多くいる。
教育基本法の改正問題もあいまいにできない。実利的、市場主義な発想、功利的な形で問題を解決する教育があるか、と思う。
企業に教育をうんぬんされるような状況はあり得ない。経済人としてではなく、人間としてそう思っている。
品川正治「憲法改悪にものもうす」
経済同友会終身幹事
「改革」は資本家のため
改憲ノーで日本が変わる
「市場にできないことはたくさんある」。品川さんの話に参加者は聞き入った(高知市の高新文化ホール)
2006年6月1日付け高知新聞朝刊