共謀罪
「共謀罪」創設法案の話を初めて聞いたのは2~3年前のことだった。それを知らせてくれた友人は「このままでは日本は暗黒社会になる」と危機感を募らせていたが、わたしは正直言ってあまりピンとこなかった。
いくら何でも、話し合っただけで罪に問われるなんて、そんなばかな法案がすんなり通るわけないだろうと思ったからだ。
ところが、その後の事態は友人が憂慮した通りになった。自分の不明を恥じ入るばかりである。
ご存じのように、今までこの国では、仲間うちで犯罪の相談をしても、実際に行動に踏み切ったり、その準備をしたりしなければ、原則として処罰されなかった。
ところが、与党案では「長期4年以上」の罪(殺人、強盗、窃盗、傷害、詐欺など619種)について相談しただけで犯罪となり、最長5年の懲役に服さなければならなくなる。
たとえば、市民団体が企業の社屋内での座り込みを決議しただけで組織的威力業務妨害の共謀罪になりかねない。
労働組合が「社長が譲歩するまで、徹夜も辞さない、手厳しい団交をやろう」と決めただけで組織的強要の共謀罪に問われかねない。
つまり「実際に行動に出なければ、心の中で何を考えようと、何をしゃべろうと自由だよ」という、わたしたちの社会の大前提が一片の法律で覆されるのである。
法務省の「暴力団などの組織的な犯罪集団を取り締まるもので、まじめな市民には適用されない」という説明はまやかしだと思ったほうがいい。
原案にはそんな記述はなく「団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるもの」とあるだけだ。
野党の批判を受け「組織的な犯罪集団に限る」と修正されたが、だからといって安心はできない。なぜなら「犯罪集団」かどうかを決めるのは捜査当局だからだ。
座り込みなどの抗議行動を繰り返す団体や組合は容易に「組織的な犯罪集団」とみなされうるし、脱税工作の相談をする企業の経営陣だって該当しないとは言えない。
こう言うと「それは考えすぎだ」と思われるかもしれない。だが、最近の治安当局の暴走ぶりを見てほしい。
例えば、2年前の2月には、東京都立川市の防衛庁官舎に「イラク反戦」のビラを入れた市民グループの3人が住居侵入容疑で逮捕され、75日も拘置された(一審・無罪、二審・有罪で上告中)。
翌月には東京都中央区のマンションで、共産党の機関紙を配った社会保険庁の職員が国家公務員法違反容疑(政治的行為の制限)で逮捕された。
同じようなケースが各地で相次ぎ、会社と対立する組合員や、「日の丸・君が代」に反対する元高校教師らが摘発された。
なぜ、当局は戦前の特高警察のような取り締まりを始めたのか。その理由はおそらく2つある。
一つは、かつての過激派やオウム教団といった摘発対象をなくした公安警察の生き残り戦略だ。行政改革という名のリストラを免れるには、新たな摘発対象をつくり、自らの存在意義をアピールするしかない。公安警察のエリート官僚たちはそう考えたのだろう。
もう一つの理由は住民意識の変化である。近所づきあいや商店街、各種組合などを通じて形作られた住民同士の連帯感が近年、急速に薄れだした。
その結果、一人一人の孤立感や不安感が増大して、見知らぬ者や不審者への警戒心が強まり、当局の取り締まり強化を望む空気が生まれた。
それが分かっているからこそ、当局は微罪逮捕に踏み切ったのである。共謀罪も同じ住民意識の変化を背景に登場してきた。
当局はこれほど使い勝手のいい"武器"を手にしたら、それをフルに使って組織の維持拡大を図ろうとするだろう。密告者奨励のための刑の減免規定もあるから、摘発材料の入手に苦労することもないに違いない。
そうなれば、わたしたちは仲間と語り合うとき、うっかり冗談も言えなくなる。自由なコミュニケーションが失われた、息苦しい社会で生きていかなければならなくなる。
魚住 昭「共謀罪の危険性」
うおずみ・あきら
1951年熊本県生まれ。
一橋大卒。共同通信記者から96年フリーに。著書に「特捜検察」など。
2006年5月21日付け
高知新聞朝刊
識者評論
自由のない社会へ
住民意識変化も背景