猫神社 | 月かげの虹

猫神社


ほこらの扉を開けると…。えっ、招き猫がいっぱい? 須崎市箕越(みのこし)地区に猫神様を祭った「猫神社」がある。

須崎市民にもあまり知られていない存在だが、一部の人々の間では相当に有名らしく、「ぜんそくなど首から上の病気を治す」とされる御利益を求めて県外から訪れる人も。

病気が治ったお礼にと「招き猫」を奉納する習慣が数十年前から続いている。

箕越は、8世帯約20人が暮らす須崎港に面した小集落。山際の小道脇に戦後建立された小さな鳥居とほこらがある。鳥居に掛かった木製の額には「猫神社」の字。

ほこらの中には、木彫りの猫と石の御神体が祭られており、その周囲には参拝客らが「願いがかなったお礼に」と奉納した約60体の招き猫がひしめいている。

神社に神主はおらず、地元住民が大切に管理している。ほぼ毎朝、同神社に供え物をする浜口倖子さん(64)は「地元では昔から『猫さん』言うて、皆が心のよりどころにしています」。

毎年4月には、別の神社の神主、戸田七五三一(しめいち)さん(94)=同市東古市町=を招き、祝詞を奉納している。

戸田さんや須崎市史によると、「猫さん」はもともと江戸中期、現在の吾川郡仁淀川町(旧吾川村)の寺で飼われていた。年齢を重ねた大猫だったらしい。

この大猫、毎夜毎夜、和尚の衣をまとって僧に化け、集めた猫らと河原で踊り興じていた。あるとき和尚がそれに気付き、大猫は追放される。そして、流れ流れて箕越にたどり着いたという。

猫さんの「霊力」にまつわる話もある。追放後のある夜、和尚の夢に猫さんが現れ「長年お世話になったお礼に、自分の力で和尚様にお手柄を立てていただきます」と告げた。

ほどなく近隣の領主だった深尾公が亡くなったが、不思議なことに祭礼会場に置かれたひつぎが少しも動かせなくなった。参会した僧らは困り果てたが、この和尚が祈るとひつぎは軽々と動き、和尚は高徳をうたわれるようになったという。

その霊力を慕ってか、箕越の人々はこの地で死んだ猫さんを祭るようになった。同市史には「諸病、特に婦人の病や脳病に顕著な御利益」と記されているが、参拝者らに評判なのは「ぜんそくが治る」という御利益。

しかし、その由縁は定かではない。「昔、ぜんそくの女性が海でおぼれた猫を助けて祭ったら、ぜんそくが治った」「猫はのどがゴロゴロなるからでは?」 と諸説ある。

同様に祈願成就のお礼になぜ招き猫を置くかも不明。いつ、だれが始めたのか。浜口さんは「何代も管理者が代わっているので分からない」と首をかしげている。

同神社は住民らがひっそりと守っており、観光名所でもなく、ガイドブックにも掲載されていない。

しかし御利益がうわさになり、いつごろからか県内外から参拝客が訪れるようになった。遠くは東京、広島からも訪れ、数年前にはわざわざ大型バスでやって来た団体も。近年では安産や合格祈願、中には迷い猫を探すために参拝する人もいるという。

約30年前、小児ぜんそくで夜も寝られない長男のために参拝した女性(60)=高知市=は「参拝後、息子は扁桃腺(へんとうせん)をはらして5日間も高熱にうなされましたが、ぜんそくは治りました。引っ越しによる環境の変化もあったでしょうが、病気が治ったお礼に神社へ招き猫を持っていきました」。

今、長男は31歳で県職員として元気に仕事をなしている。

こうした快方祈願に限らず、「猫神社? 珍しい」と県外から訪れる人々も。インターネット上では猫愛好家らによる「死ぬまでに一度は参らないといけないエル一サレムみたいな…」という記述もある。つまり猫好きの聖地になりつつある。

参拝客が「幸運になれば」と持ち帰るケースもあるものの、招き猫は年々増え続けている。住民らは数年前、ほこらからあふれた招き猫を戸田さんに拝んでもらって処分。

「願いがかなった喜びはよく分かるし、だから持って来るなとは言えないが…」と少々困惑している。

小さなほこらから須崎の海と箕越の人々を見守ってきた「猫さん」。御利益を求める人々とお礼の招き猫は当分後を絶ちそうにもない。(芝野祐輔)

2006年5月19日付け
高知新聞夕刊

猫愛好家にとってもはや聖地
御利益の宝庫 ?「猫神社」
ぜんそくに定評 参拝客絶えず
須崎市箕越地区