90の手習い
物持ちがよい。これは昔から美徳の一種と考えられていることなのですが、昨今は多少事情が変わってきたみたい。
昨年の暮れ、物持ちのよさでは人後に落ちぬお姑さんから、いきなりこんな電話がかかってきました。
「実は、おとうさまが、ちょっとね、ついにお釈迦(しゃか)に…」
慌てましたね。舅(しゅうと)、齢(よわい)90歳。いつなにがあってもおかしくないお年です。
ついに来るべきモノが来たかなと一瞬覚悟をきめました。ところが、「お釈迦」になったのは、お舅さん自身ではありません。
「あらやだ、あなた、おとうさまのワープロのことよ」
えっ! よくよく聞いてみると、大事に使ってきたワープロ、ついに事切れちゃったらしいのです。
自らの心身だけではなく、機械も大事に使う。テレビも白黒テレビ、まだ健在。それはそれでリッパな心がけと言えましょう。
でも、ワープロの場合、新しいのを買おうとしたら、今時あんまり見かけません。
自立心の強いお舅さんは、困りながらも知恵をしぼって、数年前ウチからもらわれていったまま放置されていたコンピュータを使ってみようとしました。
が、ひとりではぜんぜん歯が立たなかった、
とのこと。それはそうですね。ワープロ(ワードプロセッサー)は、文章を書くための専用の機械。
コンピュータは、それだけではなくて、インターネットやらゲームやらいろいろな機能がついているマルチな機械。そもそもシステムがぜんぜんちがいます。
しかも、お舅さんが使っていたワープロは、キーボードがかなり待殊なタイプで、一般に使われているものとは違います。
困りました。テレビや掃除機みたいに、本人の努力をそれほど必要としていない電気機器とちがって、AV関係の機器は、使用者がいろいろ学習しなければならないことがあり、中年の我々でさえ、はげしい変化についてゆけず、まごつくことが多いのです。
それでも背に腹はかえられないお舅さん。ついにコンピュータの練習を始めました。90の手習い。がんばってーという家族の黄色い声援にもかかわらず、これがかなりの難儀。
とくに一番の苦労はキーボードについている、マウスと呼ばれている部分。かたちがネズミ(マウス)に似ているので、そう呼ばれている部位ですが、それをもってパシパシッと二回ボタンをおさなければならないのです。
これが、お年寄りにはそうとう難しかったようです。「ワープロがなくなる。これって老人いじめではないのかね?」と、練習のあいまに手を休めてお舅さんはこぼしました。
「そういえば、わたしの友人の神父は、電動式ではないタイプライターを買いたがっていたな」
これは、古道具屋やネットオークションを巡回するしかないかなとの心配をよそに、お舅さんは「まずは、この機械を愛し、ネズミをいじめることに慣れなければならないのだね」という境地に達したようでした。
ものは大事に使わなければ。今あるもので充分です。そういうご決意のもと、以後、地道に毎日、ねずみ小僧のレッスンです。
ところが、そんな彼の苦闘ぶりがお友達に伝わりはじめたのか、知り合いから旧いワープロをゆずっていただくことになりました。友人の神父さんも、やはり古いタイプライターをゆずりうけた、とのこと。
捨てる神あれば、拾う神あり。平均寿命が延びて長寿大国になったニッポンと、世界に冠たる電脳国家ニッポンとが、ヘンなところで衝突したわが家の事件です。
が、結局、お友達ネットワークで解決いたしました。長持ちは人間関係にも反映されていた、というわけですね。
小谷真理「長寿国家と電脳国家」
こたに まり
SF&ファンタジー評論家。
著書『女性状無意識』で日本SF大賞受賞。『星のカギ、魔法の小箱』『テクノゴシック』ほか。
2006年5月22日付け
赤旗新聞より