天岩戸はなぜ開く
ミディアムレアに焼き上げられた赤みを残すステーキに添えられているのは、ボイルしたほくほくのじゃがいもと人参、緑が目にも新鮮なブロッコリー。
その上にたっぷりとかけられた濃厚なソースは香り立つ赤茶のデミグラスです。お気に召しませんか? では桜のチップでしっかり薫製した香ばしいスモークサーモンのオープンサンドに、白身魚のフリッターはいかがでしょう。
飲み物にはいっそう食欲を刺激する赤ワイン、もしくはビールをお好みで。どうです?なかなか趣向をこらしたメニューだと思いませんか?
ではこのメニュー、いったいどこで出されたものなのでしょう。多くの方は、少し気の利いたレストランか、自宅ならば何かの記念日にでも出されたものなのでは、と考えられたのではないでしょうか。
ですが実はこのメニュー、北欧の高齢者介護施設で出された、なんの記念日でもないある日のランチメニューなのです。
総合リハビリテーション学部、医療リハビリテーション学科の備酒助教授の専門は高齢者ケア。デンマークヘの視察の際に訪れた高齢者介護施設で見たその「なんでもない昼食」に、驚きを隠せなかったそうです。
なぜなら、同じ時期、日本で一般的に出されていた介護食との間にあまりに大きな差を感じたからです。
北欧の食事には、作り手に「楽しんでもらう」という強い意識があって、食べる側に「食べたい」と思える気特ちを十分に感じさせるものがあったからです。
これは、日本におけるこれからの福祉や介護の制度を考え創りだす上で、真理とも言うべき大事なこと。
つまり福祉や介護の制度とは、「仕方なく使う」のではなく、「使いたい」と思えるものでなくてはならないということです。
誰にも後ろめたい思いをすることなく、いやいやながら利用するものでもない。介護保険料という義務を果たすことで許された当然の権利。それが介護であり福祉なのです。
食事はもちろん、このことは介護福祉制度全般にあてはまります。備酒助教授があるおとしよりのお宅に在宅介護へ赴いた時のこと。
その方はベッドでの起き上がりや立ち上がって1~2歩なら歩くことができるという身体機能のある方でした。
身体機能の維持・回復のために「少し動いてみませんか」と言うと、「わしは麻庫があるから動けない」と言う。
ならば、ということで、おじいさんが50年来もの間続けてきた牛の世話にお誘いしたところ、言い終わらないうちにベッドから起き上がり、歩き出そうとしたと、備酒助教授は微笑みます。
これはいわば、「天の岩戸」のようなもの。天照大神が閉じこもった岩戸を開くのは、屈強な男達の腕力ではなく、楽しく明るい宴と踊りなのです。
天照大神が「出たい」と思ったからこそ、重い岩戸は開いたわけです。介護や福祉の本質は、岩戸を開くことによく似ています。
つまり、なによりもまず「心」を開くこと、そこが介護福祉のスタート地点になるわけです。
「介護や福祉は、押し付けるものではなく、支えるものである」総合リハビリテーション学部の学生たちを前に、備酒助教授は何度も繰り返します。
理学療法士として、23年間現場を見続けた上でのひとつの答え。その答えが学生たちに受け継がれ、新たな日本の介護福祉を創造する。
その日を夢見て、備酒助教授は今日も教壇へと向かいます。
備酒 伸彦「天岩戸はなぜ開く」
びしゅ のぶひこ
神戸学院大学
総合リハビリテーション学部
医療リハヒリテーション学科助教授
SKYWARD 3月号
JAL機内誌