ソースカツ丼
いわゆる「洋食」の定義を「西洋で生まれた料理を元にして日本国内でアレンジし、ご飯と相性のよい一品に仕上げたもの」とするならば、「ドミグラスソースカツ丼」は断然その陣営に組み入れられる。
ドミグラス・ソース(Demi-glace Sauce)は、フランス語で半分を意味するドミ(デミ)と、煮詰めた煮汁を表すグラスが合わさった言葉。
一般的には小麦粉をバターで色がつくまで炒めてからいったん冷まし、仔牛の肉や骨、野菜を煮込んでつくったダシと合わせ、丹念にアクを除きながら元の分量の半分ほどまで煮詰めていく。仕上げの風味づけとしてワイン加えることも多い。
路面電車が走る大通りから少し入った一角に、麻の暖簾が揺れている。岡山のドミグラスソ一スカツ丼発祥の店『味司(あじつかさ)野村」。
玄関口には水が打たれていた。引き戸を開ける。揚げられたばかりのカツの匂いと、食欲中枢を直接刺激するドミグラスソースの香りが、鼻腔を一気に開かせる。7卓のテーブルは満席だった。
創業1931(昭和6)年。当初は品目を取り揃えた食堂としてスタートしたが、初代店主の野村佐一郎さんは「ドミグラスソースをふんだんに使ってご飯と相性のよい料理を極めたい」との思いから研究を重ね、いつしかメニューを絞り込んだ。
その時代、ドミグラスソースはハイカラな西洋の食文化の代名詞でもあった。初代店主は東京の帝国ホテルまで足を運んで教えを請うたこともあるという。
調合したドミグラスソースの味は、2代目を経て、現在の店主である3代目宏司さんが受け継いだ。一子相伝。詳細なレシピは、この春に高校を卒業したばかりの息子さんにしか伝えられていない。
味司野村には卵とじカツ丼もメニューにあるが、注文する人は2割に満たない。この店では「カツ丼」とオーダーすれば、褐色のトロリとしたソースがかかったものが運ばれる次第。
主人が3代目なら客側も同様で、3世代のファミリー揃って訪れる姿もある。通常のサイズのほかに、小ぶりな「子カツ丼」、さらに少量の「孫カツ丼」が用意されているから、食が細い人でも気後れせずに頼める。
来ました来ました。見た目にも重量感あふれる丼。カツの全面を覆い隠す、光沢を帯びた深い茶色のドミグラスソース。本来ならば主役であるはずのカツを抑えて、ソースそれこそが主役の座に君臨している。
表面には5粒のグリーンピース。一片のカツを箸で持ち上げれば、その下からは茄でたキャベツが顔を覗かせる。丼と口の間でしばし箸を止め、ためつすがめつ、ソースをまとった一片のカツを見る。
湯気だけでも美味しい。囓りつく。あああああ。極上の温泉に浸かった時に似た無言の法悦。コクがあり、焦げるか焦げないか絶妙の折り合いで仕込まれたとわかる濃厚なドミグラスソースが、味蕾にまんべんなく行きわたる。
さっくりとした衣を割って、カツの肉汁が新たに染み出してくる。茄でキャベツを箸休めにつまみ、その底に埋蔵されたご飯を口に運ぶ。あとはもう、その循環、リピート、繰り返し。
岡山の人は幸せである。市内にはこのほかにも『やまと』『だてそば』など、ドミグラスソースカツ丼の繁盛店がある。その2店は中華スープをベースにしたソースを使う。
腕によりをかけたドミグラスソースカツ丼を知ってしまった身を、岡山以外のどこが救ってくれるだろうか?
ソースカツ丼は国内のいくつかの街の名物になっているが、岡山のそれは洋食ソースの王道ドミグラスソースをたっぷりとかけた魅惑の一品として一目置かれている。
一度はまると癖になる。卵でとじたカツ丼だけの食文化では満たされなくなる。岡山に行かれる人は、その覚悟をもって、お臨みあれ。
立山 弦「ドミグラスソースカツ丼」
SKYWARD 5月号
JAL機内誌