クロネコヤマトの宅急便 | 月かげの虹

クロネコヤマトの宅急便


小倉昌男という生き方
             
2005年7月1日の朝刊を開いて、驚いた。「宅急便」の創始者で元ヤマト運輸社長の小倉昌男さんの訃報が出ていたのである。

80歳という年齢だからそのこと自体は不思議でもないのだが、この数日前に、以前にお世話になった会社社長を久しぶりに訪ねた際、手土産として小倉さんの著書『「なんでだろう」から仕事は始まる』(講談社)を持参し、おまけに小倉さんが亡くなった当日(6月30日)もオフィスで同書を読み返していた矢先の報道だったため、ただならぬ奇遇を感じたのだ。

小倉さんがヤマト運輸の二代目社長になったのは1971年、46歳のときだった。
当時、関東を本拠に置く大手運送会社であった同社は時代の波に乗り遅れ、ジリ貧の状態。何か手を打たねば、会社の存続すら危ぶまれるというときに創業者で父の小倉康臣さんが突然の脳梗塞で倒れ、息子の昌男さんが社長に就任したのである。
新米社長にはまことに厳しい船出と言えた。

しかし同社はこの五年後、民間企業としてはじめて小口宅配便の分野に進出し、「クロネコヤマトの宅急便」の名で未曾有の大成功を収めるのである。文字通り、これは戦後産業史に残る快挙と言っていいだろう。

当時国鉄と郵便局が独占していた小荷物分野は民間会社が手をつけても絶対に採算が合わないと信じられていた。すでに強大な全国ネットワークがある役所だからできるので、いつどこから発生するかわからない家庭からの小口需要を小さな規模の民間運送会社がビジネスにできるわけがない、誰しもそう思っていたのだ。

だから小倉さんが、大口商業貨物から手を引き、小口宅配便一本に絞る方針を役員会に諮ったときに、全役員が猛反対したのもうなずける。あまりに無謀な、自殺行為にしか思えなかった。

しかし小倉さんは、一般家庭から出る小口荷物について論理的に考え抜き、大口商業貨物と小口宅配便の比較を行い、新業態の発明に自信を深めていった。

牛丼一本に絞って成功を収めつつあった吉野家にヒントを得て、小口宅配便一本に絞る戦略を採用したことも功を奏した大きな要因となった。

小倉さん自身、「清水の舞台から飛び降りる気持ちで宅急便を開始した」と述懐しているが、これは決して誇張ではない。初日の取り扱い荷物はわずか11個、「かならず家庭の主婦が支持してくれる」という固い信念のもとに一歩を踏み出した、まさに“背水の陣”の船出だったのである。

小倉さんはまた、運輸省や郵政省の官僚と正面から対決した「戦う経営者」としても知られている。

当時のトラック運送業は「道路運送法」という、まるで時代遅れの法律で規制されていた。利用する道路ごとに路線免許が必要だったのである。全国展開を目指すヤマト運輸は、いちいち運輸省に免許申請をせざるを得なかったが、東北の路線で地域業者からの反対を理由に申請を5年も放置されてしまったのである。

そして運輸省役人は日参するヤマト社員にこううそぶいたという。「既存業者の反対を抑えてくれれば何時でも免許をやる」。

宅急便の全国展開に社運を賭けていた小倉さんは、堪忍袋の尾を切った。1986年に当時の運輸大臣・橋本龍太郎を提訴したのである。これにあわてた運輸省は、すぐに免許を交付した。

「幸いにしてヤマト運輸はつぶれずにすんだ。しかし役人のせいで、宅急便の全国展開が少なくとも5年は遅れている。規制行政がすでに時代遅れになっていることすら認識できない運輸省の役人の頭の悪さにはあきれるばかりであったが、何より申請事案を5年も6年も放っておいて心が痛まないことのほうが許せなかった。与えられた仕事に最善を尽くすのが職業倫理ではないか。倫理観のひとかけらもない運輸省などない方がいいのである。」(「小倉昌男-経営学」日経BP社)

小倉さんは晩年もじつにすばらしい。ヤマト運輸の経営から身を引いてのち、時価24億円のヤマト運輸株を寄付して福祉財団を設立、「いまの時代に障害者の月給が一万円というのは納得がいかない」とパンのチェーン店を展開するなど、障害者の自立を手助けする福祉事業に専心したのである。見事のひとことに尽きる生涯であった。

小倉さんは、私たちに会社のあり方や経営、さらには人生というものを教えて、静かに去っていった。そして、こんな言葉も遺している。

「私は、経営者には『論理的思考』と『高い倫理観』が不可欠だと考えている。経営は論理の積み重ねである。論理的思考のできない人に、経営者となる資格はない。併せて経営者は高い倫理観を持ってほしい。社員は経営者を常に見ている。トップが自らの態度で示してこそ企業全体の倫理観も高まると、私は信じている」

企業経営者に限らずとも、あらゆる組織のリーダーはこの言葉に耳を傾けるべきだろう。

         Text by Shuhei Matsuoka

http://nobless.seesaa.net/article/4824880.html