哀愁の坂道 | 月かげの虹

哀愁の坂道


昔のぼくは病院へ行くのが嫌いだった。特に歯科へ行きたくなかった。痛くてがまんできなくなってから、やっと重い腰をあげた。

おまけに歯をみがくのも面倒で、朝と夜だけだった。そして甘いものが好きだったからみごとに虫歯になり、歯周病になり、歯ぐきから出血した。

ところが50歳すぎてから突然改心して、コマメに通院するようになった。徒歩で5分のところに片倉歯科があり、3代続いて現在は夫妻そろって腕と気質の良い名医である。

歯みがきも食後には必ずする。当然のことを今までやらなかったのは実に残念 !

効果ははっきりとでた。ぼくは現在87歳だが総入れ歯ではない。自分自身の神経のある歯が10本はある。

特に上の歯は差し歯はあるが、まず健全。下は左右の奥歯を含めて合計6本の義歯をブリッジにしてはめている。

ほんの少しでも歯のぐあいが悪いと、すぐに歯医者へ行って悪くなる前に修理してもらう。

さて、ここまでが実は前説なんですね。

歯科医院までは徒歩5分だが、これが津之上坂というゆるいスロープになっている。

87歳という年齢になると、このスロープを登るのがきつい。室内作業で足が弱っている。そして雪が降って歩道につもればすべる。

ぼくの性質はみえっぱりで、ヨボヨボになっても細身のジーパンでスニーカー。弱味をみせず、背筋を伸ばしてスタスタと無理して歩く。実は息ぎれして胸がくるしい。

歯科の施術は終わって、帰るということになると「道がすべるから危ない、お宅に電話して迎えにきていただきましょう」と言われた。

「なんのこれしき、平気の平ちゃん、お茶の子サイサイ、お心づかいは無用です」とイキなことを言ってとびだしたのだが、なんと歯科のアシスタントの若いおねえさんがおいかけてきてサポートしてくれたのである。

世間からみれば、まぎれもない老人だから当然といえば当然だが、こっちの気分は複雑で「まだ老人ではない」と老人あつかいされるのが不満なのと感謝の気分が交錯する。

空港では「車椅子をご用意しましょうか」と書われ、NHKでは到着すると出迎えに来た人が「今日は高齢の方が出演するというので心配でお迎えに参りました。歩けますか」と聞かれる始末。

なさけない。泣きたくなるが、仕事となると全く容赦なく無理な注文をされる。老齢だからといってハンデはつかない。シニア部なんてない。

このとんでもない落差の中で、いたわられたり、酷使されたり、尊敬されたり、軽侮されたりしながら晩年の人生を過ごしている。

ほんの少し前まではこんなことはなかった。凍てついた残雪の坂道を若い女性にサポートされて歩きながら、ぼくは顔は笑っていたが、心には哀愁がこみあげてきたのである。

やなせたかし「哀愁の坂道」
オイドル絵っせい
2006年5月6日付け
高知新聞夕刊