医神アスクレピオス
エジプト、ギリシャの医神
古代エジプトでは、たくさんの神々が医の神として信仰されたが、なかでも大地の神イシスは長らく治療の女神として敬われた。
イシス信仰はローマ時代になって全欧に広がっていた。また、エジプトの神トートは古くから神々の中の医の神であった。
それに対して、エジプトの医神イムホテップは古王国時代の第3王朝(紀元前2650年頃)に実在した人物だといわれる。
宰相を務め、サッカラの階段式ピラミッドを設計した人ともいわれ、詩人、能筆家であり、善政を行った人として尊敬を一身に集めていた。
死後、イムホテップの墓を詣った人々の病が奇跡的に治ったことから医神として祀られ、紀元前6世紀頃にはエジプトの最高の医神となっていた。
続くギリシャ時代に登場するアスクレピオスはイムホテップ信仰の流れを継いだものといわれる。
つづくギリシャのヒポクラテスの「誓い」は「医神アポロン、アスクレピオス、ヒュギエイア、パナケイア、およびすべての男神・女神たちの御照覧をあおぎ、つぎの誓いと師弟誓約書の履行を、私は自分の能力と判断の及ぶかぎり全うすることを誓います」と、医の守護神との誓約で始まる。
医神アポロンはギリシャ神話で最高の全能の神ゼウスとレトを両親に生まれ、神々の中でもっとも美しく、竪琴の名手であり、芸術の守護神で、弓の名人でもあり、人間に初めて医術を教えた神という伝説がある。
パルナソス山の下にあったアポロンのデルフォイ神殿は巡礼の人が絶えず、岩山の裂け目から立ち上る蒸気を吸った神官がアポロンの神託を告げていた。
アスクレピオスはアポロンの息子で、母は絶世の美女コロニスであった。コロニスはアポロンを裏切って人間の愛人をつくったために、怒り狂ったアポロンに焼き殺される。
そのとき母の胎内にいた子が救い出され、ペリオン山の洞窩にいた半人半馬のケンタロウスのキロンに託され、養育された。アスクレピオスの誕生である。
博覧強記のキロンはこの子の才能を見込んですべての知識を教えた。成人したアスクレピオスは医薬の知識では養父を凌ぐまでになり、常に聖蛇が巻き付いた杖を持ち、病人ばかりか、死者まで復活させてしまうようになった。
そのことにゼウスは死者の神の領域を侵したと怒り、殺させた。アスクレピオスを慕う人々は各地に神殿を造って祀ったのがアスクレピオス信仰である。
アスクレピオス神殿に、神の救いを求めて巡礼する病人や身体障害者がつぎつぎと訪れた。疲れ切った旅人は、神殿で祈ると、用意された居間で眠りにつく。
そこにアスクレピオスの神聖な召使である聖蛇をつれた神官が病人の間を廻って歩き、夢の中で病の治療法を告げて、蛇に治療させた。その来歴から蛇が巻き付いたアスクレピオスの杖が現代医学のシンボルになっている。日本医師会の記章はそれをデザイン化
したものである。
アスクレピオス信仰は紀元前4~5世紀から、エ一ゲ海沿岸一帯にキリスト教が広がる4世紀まで続いていた。エピダウロスにはアスクレピオス神殿の遺跡で最大のものがある。
遺跡を訪れると、膨大な敷地に神殿のほかに、寝室、精神療法をする特殊な形をした建物、観覧席のある25メートルトラックの競技場、ローマ式、ギリシャ式の浴場、宿舎、マーケットの跡があった。
われわれを驚かせたのが丘陵の斜面を利用した半円形の野外劇場である。劇場には斜面に階段状に作られた数百席がそのまま残る。もっとも高い場所から舞台を見下ろすと、すり鉢状の劇場の底に舞台がある。
私が訪ねたとき、偶然にドイツからきた旅人が舞台でアヴェマリアを歌った。高く、快く響いた歌声は周辺の木々に吸い込まれていった。音響効果がすばらしい。往年の感動がよみがえった。現在でも夏期になると、演奏や演劇が行われるそうだ。
病人はアスクレピオス神殿で治療を受けて、身体を神殿で休ませ、演劇、音楽や競技を楽しみながら病を癒したのだろう。どんな効果があったのだろうか。
神殿跡からは、胸、足、乳房など病んだ部位の彫刻が発掘されている。治ったあと神に捧げたものだという。
アスクレピオスに2人の娘がいた。ヒュギエイアはその1人で、アスクレピオスとともに神殿に祀られている。名前はギリシャ語の健康を意味する言葉となり、hygieneの語源でもある。
ルーベンスの名画に「聖蛇に盃から餌を与えるヒュギエイア」がある。パナケイアはアスクレピオスの2人目の娘である。治療の女神であり、万病に効く薬をパナケイアという。
つづく
順天堂大学医学部客員教授
酒井シヅ「医の守護神」
日医雑誌 第135巻・第2号
平成18(2006)年5月号
医の歴史