京名物にしんそば
とにかく何でもよく食べる。食べ物の好き嫌いは、ほとんどないといっていい。
味はどうであれ、出されたものは残さずに食べる。これは田舎に今も残っている美徳のおかげである。それほど腹が減っていなくても、旨いと思ったものは喉のあたりまで詰まるくらいによく食べる。しかし、いったん嫌だと思ったものはぜったい口にしない。考えてみれば贅沢な人間である。
わたしの記憶に残っている旨かったものといえば、まずは、北海道で食べたソフトクリームである。え、ソフト?というなかれ。広大な牧場で放し飼いしているニュージャージー種の絞りたてのミルクで作る、あの甘さと濃厚さを味わいに、もう一度北海道まで行きたくなるしろものだ。それから、いきなり海外になるけれど、サン・ディエゴの日本人街でやっていた寿司屋の江戸前寿司。日本から直送したというササニシキと太平洋近海で採れた新鮮な魚介類で握った寿司を、北島三郎の歌を聴きながらぱくぱくと食べた。
ところで、京都の旨いものってなにがあっただろう?
通信課程の大学に学んでいたわたしたちの夏の楽しみは、京都で、懐かしい友だちと再会することと、旨いものを探して町中を散策することにあった。その合間に勉強をするというのが常だった。限られた青春という季節は、まことにうつろなものである。
ある時、食堂の陳列ケースの中に異様なメニューを見つけた。かけ蕎麦の上になにやら魚のひらきらしきものが乗っかっている。まったく未知の食べ物だったので、わたしの好奇心がさっそくその《鰊蕎麦》なるものを注文していた。
不安と期待に腹を鳴らせながら待つことしばし。はい、お待ちどうさま、という威勢のいいかけ声とともに出てきたのは、その名のとおりの鰊蕎麦である。鰊のでっかいやつが一尾、丼の上で昼寝をしている。とりあえず食べてみた。不味かった。すかすかした鰊の身に、だし汁みたいな蕎麦つゆがからんで、一口でわたしは嫌になってしまった。それでもしっかり完食してから、こんな不味いものを商品にするなよ、と怒りながら店を出た。
後日、違う店なら・・・と、懲りもせずにまたしても《鰊蕎麦》を注文するという暴挙に出たのは、これもわたしの好奇心である。一軒目の店のより不味かった。京都の方にはたいへん失礼だが、なぜあんなけったいなものを京都の名物と呼んでいるのか、わたしみたいな田舎者には今もって理解できない。《名物に旨いものなし》ということばがあるが、その見本みたいな食べ物だった。
酒も刺身も、京都では、わたしの口にはあわなかった。酒は甘口で、刺身の色もよくない。深夜までやっている呑み屋があったので、ある夜、おやじにさんざん文句を言ったら「お客さん、どちらの方ですか」と尋ねられ、高知だよ、と答えたら、「そりゃあ、お口に合わないのも無理はない」と笑って、勘定を安くしてくれた。あの店は、今もやっているだろうか・・・。
講義が終わる時間には、気が遠くなるくらい腹がすいている。不味い名物は食べたくないから、おんな友だちと連れだって大学の目と鼻の先にあるちいさな食堂に入って、お茶漬けセットというのを何度か食べた。梅や、おかかや、はりはり漬け(これは旨かった)を熱いご飯に乗せて、そこにやはりくらくらと熱い煎茶をぶっかけ、一気にすすった。こんな旨いものがあっただろうかと感動しながら、ふうふう言いながら梅茶漬けを頬ばっている少女の頬がほんのりと赤らんでくるのをこっそり見つめた。
近澤有孝「京都夢幻」
うつろ草紙
SPACE No.67
ふたば工房
2006年5月1日発行
非売品
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