イラク開戦3年 | 月かげの虹

イラク開戦3年


米国は占領後の青写真を持たずにイラク戦争に踏み切ったと当初から言われてきたが、ここまで何も考えていなかったとは予想外だった。

「米国が望むイラク」に変わることはもはや困難だ。親米世俗政権の誕生は絶望的で、イランに似たシーア派のイスラム主義政権が基盤を固めつつある。

米国は「戦争の後始末」として、たとえ望まないものであっても「イラク人が望むイラク」の国造りを支援し、その後に軍を撤退させるべきだろう。それしか選択肢はないのではないか。

中東では最も軍事的に強いとみられていたフセイン政権があっけなく倒された3年前のイラク戦争直後は確かに「米国には逆らえない」という空気が中東を一時的に支配した。

パレスチナ和平案(ロードマップ)合意などはその現れだった。しかし、その後のイラクの混迷で別の見方が広がった。

米国は軍事的には圧倒的超大国だが、政治や経済では必ずしもそうではなく、占領政策に長じているわけでもないと人々は知った。

大きな転機はイラクのアブグレイブ刑務所で米兵が行ったイラク人虐待事件だったと思う。一般市民も多数拘東されていたアブグレイブで米兵はイラク人を全裸にしてはずかしめた。

男女を問わず肌をさらすことをタブー視するアラブ社会の人々に「米兵はイラク人を人間扱いしていない」という強烈な印象を与えてしまった。

欧米社会も人権問題として批判したが、アラブ社会の反発はそれ以上だった。この事件で欧米流の民主主義にも理解を示すアラブ諸国の穏健派が面目を失った。

アブグレイブだけでなく、イラクのファルージャの検問所などで米兵は部族の長老さえも手荒に扱った。イラクで部族の長老を侮辱するということは、長老個人としての問題でなく、集団との問題になる。

そういったアラブの文化、イスラム的価値への無理解が重なり、戦争に踏み切ったことも含めて米国は「ボタンの掛け違い」を繰り返した。

イラクの今後をめぐっては、連邦制の導入がイラクの一体化を維持しない方向に進めば、必ずクルド独立問題が浮上する。

総人口2千万人以上のクルド人が独立国家を持つことは民族自決の原則から支持すべきだと思うが、現実にはトルコは少なくとも自国領内での独立は許さないし、既存の国境線を変更しないという前提を崩す。

国境線を変えるとなれば、イラクの政権が今後、フセイン時代と同様にクウエートの領有権を主張する可能性もある。

イラクがイスラム主義政権に変わることによって、反米的、イスラム主義的な勢力が地域全体で力を増しつつあり、親米イスラム主義のサウジアラビアなどにも危機は波及しそうだ。

非常に親日的だったアラブ社会の日本への見方は、イラク戦争支持と自衛隊派遣によって変わった。過去の友好関係の遺産を2~3割食いつぶした印象がある。

しかし、逆に言えばまだ遺産は残っている。日本がイラクの将来像を決める国際的な枠組み作りを主導する意思を示せば、アラブ社会は耳を傾けるはずだ。日本の責任と役割は残っている。

(聞き手は共同通信編集委員・石山永一郎)

小杉 泰「過ち重ねた占領策」
京都大学大学院教授
こすぎ・やすし
1953年生まれ。
エジプトのアズハル大イスラム学部卒。京都大学法学博士。著書に「現代中東とイスラーム政治」「イスラームとは何か」など。

2006年3月19日(日)付け
高知新聞朝刊