イスラム風刺画 | 月かげの虹

イスラム風刺画


これも時代を反映した現象なのだろうか。地球の片隅で起きた無責任な行動が、世界の向こう側でとてつもない災禍を引き起こすことがある。

「バタフライ効果」と呼ばれる仮説がある。例えば米国のカリフォルニアでチョウが羽ばたきしたとする。ある種の条件の下では、羽ばたきは空気を巻き上げてそよ風となり、さらに突風になる。突風はついに荒々しい台風となって日本の沖合に迫る。

イスラム教預言者ムハンマドの風刺漫画の一件はこれと同じだ。デンマークという、普段は静かな欧州の片隅に位置する国の出来事であっても、ある種の政治的緊張の下では、新聞に載った漫画が爆発物に様変わりするのだ。

この場合の緊張のもとになっているのは、テロとの戦いとイスラム嫌悪のムードだ。横柄にも欧州のニュース解説者の多くは、表現の自由を盾にイスラム世界の抗議行動を批判した。怒りにかられてデモをする群衆を時代錯誤で非科学酌な人たちと決めつけた。

フランスのメディアの中には、騒ぎのもとになったこの風刺漫画を転載するところもあった。転載に際しては絶好の言い訳を見つけた。

フランスの読者にもこの漫画を見せることによって、表現の自由を擁護し、宗教的不寛容と闘うメディアの意志を挑発的な形で表明できるというわけだ。

表現の自由が民主主義の原則だとしても、欧州においてイスラム教は、いかなる意味でも表現の自由を侵す存在にはなっていないという事実を忘れてはいけない。

いま欧州で表現の自由の脅威となっているのは、むしろメディアの合併による寡占化や金銭の力による圧力、価値観の画一化なのだ。

確かにわれわれの民主主義は表現の自由を保障しているが、表現の自由の行使については法律が限度を定めている。表現の自由はどんな時にでも行使できるわけではないし、無責任な表現を保護するものでもない。

実例をあげて説明しよう。フランスでは反ユダヤ主義酌な表現など、あらゆる人種差別的表現が禁じられている。また、英国議会は2月初め、宗教的憎悪の扇動を禁じる法律を成立させた。

この法律に伴い、英メディアは法的制裁を受けることなしにムハンマドの風刺漫画を掲載できなくなる可能性がある。

表現の自由を守るためにあえて危険をおかす勇気は、自らの文化的タブーに向けられた時、初めて本物になる。

他者の文化にタブーを見つけ出して攻撃するのは安易だし、人種差別の非難を免れない。19世紀に海外植民地の住民の風俗を物笑いの種にした植民地主義者と同じだ。

なぜデンマークの新聞「ユランズ・ポステン」はムハンマドの風刺漫画を掲載したのか。この新聞は右翼勢力の中心的日刊紙で、同国最大の発行部数を誇っている。

デンマークで政権を担当しているのは自由党や保守党などの少数政権で、極右のデンマーク国民党の協力を得ている。国民党のケアスゴー党首は以前から外国人排斥やイスラム嫌悪の立場を取っており、最近もイスラム教徒を悪性腫瘍(しゅよう)と対比する発言をした。

ユランズ・ポステンは反イスラムの論調を貫いていることで知られ、人種差別すれすれの記事をよく掲載している。

風刺漫画の掲載を受け、事態がどう進展するかは十分予想できた。今日、欧州連合(EU)からそれぞれ個別の理由で批判を受けているイスラム諸国に、絶好の反撃の機会を与えた。

シリアはレバノンヘの影響力を維持し続けている。イランはイラクに浸透しつつあり、パレスチナの選挙ではイスラム原理主義組織のハマスが勝利した。そしてアフガニスタン。それぞれ大使館にデモを仕掛けるなど激しい抗議行動が行われた。

これらの事態は、欧州とイスラム諸国の双方が、それぞれ融通が利かず、妥協を許さない社会になりつつあることを示している。ここに見られる「文明の衝突」は、まず何より過激主義同士の衝突なのだ。

イニャシオ・ラモネ「イスラム嫌悪映す風刺画」
(ルモンド・ディプロマテイク総編集長)

2006年3月13日付け
高知新聞朝刊
現論「安易な他者のタブー攻撃」
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