スブラキの思い出 | 月かげの虹

スブラキの思い出


屋根裏の整理をしていたら、昔の写真が出てきた。その中にギリシャを旅行した際のスナップが数枚混じっていた。ギリシャに行ったのは20代の頃の話だ。

お金なんかちっともなかったのに、気軽に飛行機に飛び乗れたのは、当時、パリに住んでおり、勤め先が航空会社だったからである。

パリからアテネまでは約3時間。朝の便で発ち、到着するとすぐに港を目指した。工ーゲ海の島を訪れるためである。船が到着するまで岸壁で待つ。空は高みにあり、恐ろしいほど青かった。

陽射しに頬をさらしていると、湿った嫌な思いや気がかりなことまでもが、からからに干からび、どうってことないな、という解放感に包まれた。

そんな僕の鼻腔を、肉の焼ける芳しい香りがくすぐった。見れば串焼きが売られているではないか。美味しくて後を引いた。

気がつけば食べていない串を数本、片手に持って、肉にかぶりついていた。連れが、よくそんなに食べられるね、と陽射しに目を細めて笑っていた。

スブラキ。名前の響きもよかった。

その後も、2度、ギリシャに足を向けた。いずれの時も、スブラキを必ず食べた。岸壁から工ーゲ海を見ながら。1度目と2度目は、同じ女(ひと)と行った。3度目は女の子ふたりを連れての旅だった。

航空会社に勤めてはいたが、風来坊の気分から抜け出せなかった。風来坊の自由と不安が、いつもせめぎ合っていて、落ち着いた暮らしとはほど遠かった。

一緒に旅行した彼女たちと音信が途絶えて久しい。思い出すことも稀である。関係が深かろうが浅かろうが、ギリシャ旅行を通じて、20代の僕は、彼女たちを旅し、彼女たちもまた、僕を旅したのだ。

凪いだ海、蒼空、そして岸壁のスブラキ。数枚の写真に押されて、まるでドミノ倒しのように、あの頃の思い出が脳裏を駆け巡った。

あれから30年近く経っている。今、岸壁でスブラキを食べたら、どんな味がするだろうか。同じ味はしないかもしれない。留まることを知らないのは旅だけではない。食べ物も同じである。

それは人間が、たとえ故郷に戻ろうが、安定した生活を手に入れようが、永遠に同じ場所に立ち尽くしてはいられないからだろう。

藤田 宣永「スブラキの思い出」
ふじた よしなが
作家。
1950年福井県生まれ。
早稲田大学第一文学部中退後、渡仏。

SKYWARD
2006年2月号
JAL機内誌



スブラキ
スブラキとは串に刺した肉のこと。ギリシャ語で肉などを刺して焼くときに使う串のことを「スブラ」といい、料理名はここに由来しているそうです。本来は子羊肉を串に刺した子羊の丸焼きを意味していたようですが、今では串焼き料理を総称してスブラキア(スブラキ)といいます。ちなみに、復活祭に大串に刺して焼かれる子羊の丸焼きは、古代の「犠牲」の儀式の伝統を今に伝えるもので、オヴェリアスと呼ばれています。

ギリシャ料理の特徴
ギリシャ料理は、オリーブオイルとトマトをよく使うという点でイタリア料理に似ていますが、ヨーグルトや羊肉もよく使われます(一番近い料理はトルコ料理)。旬の新鮮な素材使った素朴な料理が多いので、日本人の口にも合うと思います。
ただオリーブオイルですが、半端じゃない量を使います。たっぷりでも良質な油なので以外としつこくないのですが、慣れていない人だとたまに下痢する人がいるそうなので、心配な人は注文の際に油を控えてもらうように伝えて下さい。
醤油を持っていくと魚介類を食べるときに重宝します。またサラダ類はオリーブオイル、ビネガー(酢)、塩、胡椒を使って自分で味付けしなければならないので、小袋入りの好みのドレッシングやマヨネーズを持っていくといいかもしれません。

ギリシャ語で食堂のことを「タベルナ」と言います。営業時間はだいたい昼は12~15時、夜は20時~深夜。美味しいタベルナの見つけ方ですが、観光客だけしかいない所は避け、地元の家族連れで賑わっている所にするというのは万国共通。ただし地元の人たちの夕食の時間は夜10時頃のため、8時頃に入った時にはガラガラでも、コーヒーを飲む頃になると満席になっている事もあります。アテネ市内やメジャーな島なら英語のメニューが置いている所もあります。ほとんどのタベルナでは厨房に行って食材や料理を見せてもらうのはOKなので、ギリシャ語のメニューしか無くてもなんとかなります。
一応前菜、スープ、肉料理、魚料理と分かれていますが、庶民的な所ではコースで注文するしなくても大丈夫です。