皮膚と肌
ところで、刺青師・清吉は「心を惹きつける程の皮膚」「光輝ある美女の肌を得て」念願の刺青を始めるが、さて、「皮膚」と「肌」はどう違うのか。
谷崎はどう使い分けているのか。『刺青』には「肌」が7回、「皮膚」が4回用いられている。もちろん皮膚科学会などでの学術用語は「皮膚」である。
谷川 渥は『刺青』で「語られる皮膚は……即自的な物質的存在としての皮膚ではなく、距離を前提とし、それゆえに欲望を誘発する皮膚、つまり肌である。肌とは、対自性と対他性を含んだ皮膚のことである。つまり皮膚は意識化されることで肌となる」という。
その用例の具体は「線と色とが其頃の人々の肌に躍った」「参会者おのおの肌を叩いて」「何十人の人の肌は、彼の絵筆の下に絖(ぬめ)地となって」「人々の肌を針で突き刺す時」と最初の4回はいずれも刺青を通して、まさに対自、対他性的に意識された「肌」である。
そして「光輝ある美女の肌」「美しい顔、美しい肌」は女そして欲望の対象として「皮膚」が「肌」となった。最後のは「肌を袒いた」である、これは言わずもがな「皮膚」の用語は使えない。
一方、「皮膚」の用例はまず「皮膚と骨組み」で、解剖学的表現として用いられ、「肌」は馴染まない。なお、『水滸伝』に「肌骨」の用例があるが、中国からの留学生2人とも、この「肌」は筋肉を意味していると教えてくれた。
白川 静の『字統』にも「肌」の項に皮膚の意味とともに「肉なり」とあり、「皮膚下の肉を指す」と記載されている。
次の「清冽な岩間の水が絶えずに足下を洗ふかと疑はれる皮膚の潤沢」はどうであろう。やはり生理学的な皮膚の状態を表規し、それは意識される肌の前提と言うべきであろうか。
同じように「清浄な人間の皮膚を、自分の恋で彩らうと」、いまから意識して「皮膚」から「肌」になるのだろうか。
「若い刺青師の霊は墨汁の中に溶けて、皮膚に滲んだ」はどうだろう。「肌」ではないのか。いや「皮膚」が「肌」に化ける一瞬の表現なのか。その解釈は難しいが、両者の使い分けを、谷崎はきっと大事にしたに違いない。
さらに、谷崎は女の白い皮膚に格別にこだわった作家で、真っ白な女の素足に清吉の胸を躍らせたのである。また火野葦平の『花と龍』にも「白い肌理の細かい肌」に刺青がよく合うとある。
また、『幕末明治女百話』の「近江のお兼の刺青女性」の話にも、「一般の説には、刺青師が女の白い皮膚を……キメの細かい、豊満るような肉を彫るのは、快感だといいますが、どんなものですか。悪い心持はしますまいが、一生懸命なものです」とある。
さて、清吉は理想の肌をもった娘に近寄った。「彼の懐には嘗て和蘭医から貰った麻睡剤がいつの間にか忍ばせてあった」麻睡剤とはなにか。
松木明知・前弘前大学麻酔科学教授が、おそらくクロロホルムの可能性が高いと教えてくれた。『刺青』が上梓(じょうし)された明治43年頃に、異臭性が少なく、効果が早いことからクロロホルムが急速に普及した。
文久元年(1861)、吉原の幇間(ほうかん)桜川善孝の子・由次郎の右足の脱疽の手術がクロロホルム麻酔下に伊藤玄朴によって行われたのは有名であるが、その際用いられたクロロホルムはオランダの医師ポンペが取り寄せた。
「麻睡」の文字について松木は、「ま」は麻・魔・痲、「すい」は酔・睡などが用いられ、この組み合わせでできる言葉は、すべて文献上認められるという。
なお「麻睡」について、塩崎文雄は鴎外の「<魔睡>(「スバル」1906・6)に、女性に麻睡をかける医者の話があるのと関係があるか」と問いかけている。しかし、鴎外のそれはその内容から催眠術を指している。
松木によると、当時ドイツから入ってきたヒプノーゼHypnose(催眠)に対して「魔睡」の訳がつけられ・そのためアネステジーAnesthesie(麻酔)と混同されたそうである。それでアネステジーに「魔睡」の訳が見られるという。
なお、「麻酔」なる言葉は日本で作られたことも指摘している。嘉永3年(1850)、江戸の蘭学者・杉田成卿が意識消失と鎮痛状態を「麻酔」と表現したのであるという。
刺青師清吉が、果たしてクロロホルムを手に入れ、それを使いこなしたかどうか。玉林は『刺青』の価値を損傷しないがと断った上で、「昼頃から彫り始め、日没を越えて夜に入り、遂に暁に至る迄彫り続け、漸く完成して居るが、そんな事は実際には出来ない話である。いくら麻睡がかけてあっても、先ず死んでしまふであろう」と述べている。
麻酔についても、それはあくまでも谷崎の少説の世界である。しかし、刺青が痛いのはいたいのである。
先の刺青女は「近頃注射彫というのがあるそうですが、男らしくもないと思います。三寸四方を彫る時、四本四カ所ヘコカインを注射して、彫るといいますが、痛みはないかしらないが、弱いじゃありませんか。あとでは彫りすぎて悩むといいます。墨ヘコカインを入れて、耳掻き二杯ぐらい交ぜて、ソレで彫ってもいるといいます。それくらいならね彫らない方がと恵います」と言っている。刺青が「がまん」とも呼ばれる所以である。
小野 友道「いれずみ物語」
谷崎の『刺青』
皮膚から肌への一瞬
(熊本大学理事・副学長)
松木明知先生に深謝いたします。
主要文献
1)塩崎文雄:〈テクスト評釈)『刺青』國文学、38;84.1993.
2)篠田鉱造:『幕末明治女百話』岩波文庫、1997.P46.
3)城生佰太郎:『オオタミ・ベンベの言語学』、日本評論社、1987.
4)谷川渥:『文学の皮膚』白水社.1996.
5)玉林晴朗:『文身百姿』、恵文社、1987.
6)火野葦平:『花と龍」・『現代長編文学全集22』、講談社、1969.
7)松木明知: 私信
8)松木明知:日本における江戸時代以前の麻酔科学史、麻酔.53(臨時増刊号)、2004.
9)吉川幸次郎・清水茂訳:『完訳 水滸伝(1)』岩波文庫、1998.
大塚薬報 2006年1・2月号
No.612
大塚製薬