冬を越す | 月かげの虹

冬を越す


暖冬だ、地球温暖化だなどといわれているうちに、20年ぶりという大雪に見舞われて、久々に「冬」を思い知らされた。地球全体はたしかに温暖化しているのかもしれないが、温帯には厳然として冬が存在していたのである。

考えてみれば、古来地球上には恒常な時代などあったはずがない。毎年、毎年が何らかの形で異常であり、それが不規則にくり返されていきながら、何万年、何十万年といううちに、全体的な気候も推移してきたのだろう。

今われわれが目にしている温帯の生きものたちは、その中であるときはじっと耐え、あるときは束の間の繁栄を享受しながら、長い長い年月をしたたかに生きてきたにちがいない。

降り積もっていく雪を眺めながらそう思ってみると、それぞれの生き物たちの冬の越しかたがどのようにプログラムされているのかをあらためて考えてしまうのである。

「冬を越す」というと、すぐ頭に浮かぶのは冬眠とか冬ごもりとかいうことばである。しかし誰でも知っているとおり、これはひとつの姿にすぎないし、そのためにもじつに周到なプログラムが組まれているのである。

いつのころからかよくおぼえていないけれど、冬になると、家の中にカメムシという虫が入ってくることが多くなった。部屋のどこかにひそんでいて、暖かい昼には日のあたる窓ガラスを歩いていたりするが、夜になるとまたどこかへ姿を消してしまう。

近くに木立が多い家などでは、年によってずいぶんたくさん入ってきて、ちょっとした話題になったこともある。

要するにこれはカメムシたちの冬越しの営みなのだ。冬が近づいて外が寒くなったので、人家に入りこんできたのである。

けれど冬を越す虫たちは、単に暖かい場所を求めているわけではない。そもそもたえず動きまわっている虫たちには、どこがいつも暖かいかなど、かんたんにはわからないだろう。たとえば、晴れた日の昼にとても暖かい場所は、雨の夜にはかえって寒いかもしれないのだから。

その上彼らにとって、体が濡れるのは、冬には大変危険なことなのだ。もし気温が零下何度まで下がると、濡れていたら凍ってしまうおそれがあるからだ。

昼と夜で温度がはげしく変わるのも困る。何も食べずにいるのだから、昼間日がよくあたって体が温まることは、エネルギー消費という点からすれば、とても迷惑なことなのである。

結局多くの虫たちは、雨や雪が降りこまず、昼と夜の温度変化がなるべく少ない乾いた場所を選ぼうとするようである。どうしたらそんな場所をみつけることができるだろうか ?

寒さはたちまちにしてやってくるから、場所探しにゆとりはない。冬越しの場所を選ぶプログラムは、きっと驚くほど単純に、しかしきわめて妥当にできているにちがいない。

そんなときすぐ思い出すのは、かつて聞いたテントウムシの話である。夏の間どこにでもみられるあのテントウムシは、秋の半ばごろてんでに飛び立って、冬を越す場所を探す。

彼らが求めるのは、少し高いところにある乾いた物かげである。乾いた場所。それは一般的にいって周りよりは白っぼくみえる。

まだそれほど寒いとはいえない晴天の日、テントウムシたちは思い思いに飛びながら、白っぼい色の場所を探す。それはちょっとした小屋の軒先の物かげだったり、立てかけられた古い板の裏側だったりする。

たまたまこういう場所をみつけたテントウムシはそこへもぐりこみ、そこで落ちつく。するとそこへは、1匹、また1匹とテントウムシがやってきて、たちまちのうちに何10匹という集団ができる。

それは1種類ではなく、いろいろな種のテントウムシの集団である。それはみんなで一斉に、ではなく、1匹1匹の選択の結果なのである。

選択の基準にされたのは、白っぽい色を手がかりにした乾いた物かげである。その結果として、あまり寒くなく、乾いていて雨もかからず、昼夜の温度差も少ないという、冬越しに適した場所が選ばれることになる。カメムシの場合も同じことであろう。

ただしこういう選択には、まちがいもおこりうる。たとえば人家のカメムシの場合、暖房をつけた人家の中は、しばしば乾燥しすぎるものである。そういうところを選んでしまったカメムシたちは、寒さにこそ遭わないが、乾燥しすぎて、春を待たずに死んでしまうことが多いのだ。

いかに乾いた場所を選んでも、冬に零下何度という寒さになる土地では、虫たちの体が凍るということもある。そういう場合、虫たちは自分で不凍液をつくりだし、凍ってしまわないようにするしくみをもっている。

昔、茅野春雄さんの研究でカイコの卵が一躍有名になった。秋にカイコの卵が産みつけられると、卵の中の栄養分であるグリコーゲンが、なぜかどんどん減っていって、1週間ほどすると完全になくなってしまう。

いったいどこへいってしまったのかと調べてみると、グリコーゲンはグリセリンとソルビトールという物質に分解してしまっていることがわかった。

ところが、この2つの物質の混合物は、強力な不凍液なのである。こういう状態になった卵は、ちょっとやそっとの寒さでは凍ったりすることはない。けれどこの不凍液ができるためには、皮肉なことに秋の暖かさが必要なのである。

やがて冬になってほんとうに寒くなると、グリセリンとソルビトールは結合して再びグリコーゲンに戻っていく。そして冬の寒さが2ヶ月もつづくと、卵の中には元どおりグリコーゲンができ上がっている。

このグリコーゲン再合成には、かなり長期にわたる冬の寒さがなくてはならない。暖冬は、カイコの卵には迷惑なのだ。そして暖かい春になると、このグリコーゲンを栄養分にしかえて、卵の中でカイコの幼虫が育ち、艀ってくることになる。

冬の寒さを乗り切るには秋の暖かさが必要で、春に卵が艀るには冬の寒さがなくてはならないのだ。

年ごとに暖かさも寒さもちがう。だが、このようなプログラムのおかげで、虫たちは年ごとの変動に耐えていくのである。

日高敏隆「冬を越す」
ひだか・としたか
人間文化研究機構・地球研所長

第121回 猫の目草(ねこのめぐさ)

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