ひとり旅のすすめ | 月かげの虹

ひとり旅のすすめ


騒々しい時代に「静かに暮らす」、と本の帯にある。川本三郎の近刊『旅先でビール』。ここ数年間に発表された著者の小旅行記やエッセイを1冊にまとめたものだが、どの頁にも、気ままな「ひとり旅」にはずむ幸福感が満ちあふれている。

週末に鎌倉を散策しては夕暮れの江の島を眺めつつビールを飲み、東北の小さな駅前の大衆食堂では、ラーメンを食べる女学生たちの横で、カツ丼のカツを肴にまたビール。

そんな何気ない場面に「旅をしていていいなあと思うのは、名所旧蹟を訪れるより、こんな駅前食堂でビールを飲む時だ」と著者は書く。

それにしても、いまやこの種の小旅行記の第一人者といってよい著者は、自分の足で実によく歩く。私はこれほど歩きもしないし、ビールも飲まない。けれどこうした"近所旅行"で日頃の憂さや緊張をときほぐす気分はまったく同感。

歩くといっても健康増進や足腰鍛練が主目的ではない。見知らぬ秘境を踏破したり、未知の体験をしたいのでもない。避暑地や温泉地めぐりの旅でもない。著者は、この旅を肴に原稿を書くのではあるけれど、随所に目的のない旅の楽しさが横溢している。

こうした"無目的の旅"になぜ人はいざなわれるのだろうか。私がこうした旅行に目ざめたのは、大学生のとき太宰治の小説『八十八夜』を読んだのがきっかけだった。

北国から上京してきた私は、それまで中央線の三鷹より西に足を踏みいれたことがなかった。この作品をなぞって、初めて甲斐駒ヶ岳と八ヶ岳を知り、太宰同様、上諏訪が目的地なのに、わざわざ下諏訪で下車して逆もどりしたりした。

いま思えば滑稽な文学青年風だが、これが私のひとり旅の筆おろし。翌年、今度は私は堀辰雄になっていた。『大和路・信濃路」の中の『辛夷(こぶし)の花』。戦時中の小旅行。

こちらはひとりではなく夫婦の旅だが、列車の窓から辛夷の花を見つけることのできなかった「僕」は、心の中で、その花を思いうかべる。結びが美しい。

〈そのまっしろい花からは、いましがたの雪が解けながら、その花の雫(しずく)のようにぽたぽたと落ちているにちがいなかった。……〉

川本の前掲書も、春の辛夷の花にふれ、〈ひっそりと咲く花で心を休めたい〉とある。満開の桜見物におとらない小旅行の醍醐味。行楽地や仲間はいらない。「ひとり」と「自由」があればよし。

田澤 拓也 「ひとり旅」のすすめ
たざわ たくや
ノンフィクション作家
1952年青森県生まれ。
早稲田大学法学部、第1文学部卒業後、出版社勤務を経て執筆活動に入る。97年『ムスリン・ニッポン』(小学館)で21世紀国際ノンフィクション大賞優秀賞、99年『空と山のあいだ』(角川文庫)で開高健賞受賞。著名人から市井の人々まで、さまざまな人物伝を週刊誌や書籍に数多く発表している。『虚人 寺山修司伝』(文春文庫)が最近文庫化。

スカイワード
2006年1月号

JALグループ機内誌