ホリエモン
 
ライブドア前社長の堀江貴文容疑者が証券取引法違反容疑で逮捕された。堀江前社長は、一時、人気急上昇中の若手芸能人のようにテツビに出まくり、衆院選にも立候補した。
アニメキャラクター「ドラえもん」にちなんで、ホリエモンと呼ばれた堀江前社長は、よくも悪しくも「子供」だと見なされていた。
彼を支持する人々は、そんな彼に現代日本の閉塞(へいそく)状況を打開する、文字どおりの型破りな発想と活動を期待し、逆に彼を嫌う人々は、そこに既成社会の秩序に揺さぶりをかける危険なにおいを感じていた。
世間には、堀江前社長をIT新人類でおたくだとする見方もあるらしい。たしかに彼の服装も、適当にふくよかな体形も、おたくのイメージに適合している。
だが、彼の精神構造はおたくとは異質のものだ。おたくは、何らかのモノなりコトなりに徹底的に執着する存在である。時には自分自身という存在以上に、その「何か」を大切にする。
正真正銘のおたくを自認する私の目から見て、堀江前社長にはそんな執着心は感じられなかった。彼はきわめてニュートラルな態度で物事に対していた。
その判断基準は「損か、得か」だけであり「正しい、正しくない」はもちろん、「好き、嫌い」さえもなかった。あえていうなら彼はゲーマーなのだ、と私は考えていた。
ゲーマーとは、ゲームに没頭する者のことで、おたくと混同されがちだが、資質は大
きく異なっている。おたくは自分がこだわる対象を愛している。
ゲーマーは「価値」を重んじない。すべては「どうでもいい」のであり、同じ「どうでもいい」なら高得点(マネーゲームの場合はもうけの多い)が「勝ち」というだけのことだ。
取り組むゲームの質的内容へのこだわりも薄く、時には自分がやっているゲームを「くそゲー」などとバカにしさえする。
もっとも、醒めているからこそ、淡々と勝負に打って出ることができたのかもしれない。しかし堀江前社長は法律という最低限のルールさえも守らなかったとされる。
この点、彼はゲーマーとしても失格してしまった。では、おたくではなくゲーマーにもなりきれなかった彼は、実際は何者だったのかといえば、現代の経済人そのものだというのが、正解だろうと思う。
ハイリスク・ハイリターンの賭けに打って出る度胸も、法律違反すれすれの抜け穴的方法を見つけ出す知恵も、今日では「有能」と評価されてしかるべきものだと見なされている。
だからこそ彼は、時代の寵児(ちょうじ)ともてはやされた。彼は今時の若者やおたくではなく、虚妄の「回復」が喧伝(けんでん)されている日本経済にいちばん似ている。
ライブドアの「事件」で株式市場は揺れたが、情報技術(IT)業界の業務自体は影響を受けなかった。現代日本では、実は株式市場やその価値のほうがバーチャルなのである。
今回の事件は、堀江前社長のキャラクターが引き起こした特異な事件ではない。1990年代以降の規制緩和やIT革命、市場中心経済などの向かう先に、当然のごとく発生した事件であり、もしかしたらほかにも潜んでいる可能性がある事例なのだ。
長山靖生「ホリエモンの本質」
ながやま やすお
1962年茨城県生まれ。鶴見大歯学部卒。歯科医のかたわら、文芸・社会評論を執筆。著書に「偽史冒険世界」(大衆文学研究賞)、「不勉強が身にしみる」など。
2006年1月27日付け
高知新聞朝刊
嘘をつくにしろ、嘘をつかれるにしろ、その嘘が、後々まで、自分のこころのなかで負担になるものと、そうでないものとがある。
「もし、嘘をついたことがないという人がいたら、その人は嘘つきだ」といわれているように、生きていれば、結果として、われわれは、いくつもの嘘をつく。
同じように、虚偽といわれるようなことも、不正と指摘されるようなことも、人の一生にはつきものといっていい。
ただ、自分が嘘や虚偽や不正の当事者であっても、そのことによって、自分のこころが傷つくものと、そうでないものとがある。
つまり、その場かぎりの嘘とか、善意の虚偽とか、より大きな価値のための不正は、多くの場合、自分で自分を責めることがない。
しかし、自分を飾るためや、人を傷つけるような嘘をつくと自分にいやけがさす。虚偽や不正についても同じである。
自分で自分がいやになるようなことをすると、人は、そのことで一生責め続けられる。
「害をなすのは、心を素通りする虚偽ではなく、心のなかに沈んで居座る虚偽である」(随筆集)ベーコン
べーコン(1561~1626年)はイギリスの哲学者。(秋庭道博)