セックス・レスキュー | 月かげの虹

セックス・レスキュー


この本の中心的な登場人物であるキム・ミョンガン氏の活動には、かねてから興味を持っていた。なぜなら、彼が取り組むセックスの問題、とりわけ本書で扱われる夫婦間のセックスレスの問題は、精神医療の場でもいま大きなテーマになっているにもかかわらず、誰もがうまく扱いかねているからだ。

考えてみれば、これは不思議なことだ。精神分析学の祖であるフロイトは、自らの理論の中核に「性」を置いた。

精神分析学に崇高なものを期待してフロイトを読み始めた若い女性の中で、「性欲」「男根」「性感帯」といった単語が羅列しているのに辞易し、もっとファンタジックなユング理論に逃げ込む人は少なくない。

それにもかかわらず、私を含めて現代の精神科医たちはセックスの問題を取り上げ、話し合うのが苦手だ。クライアント自らが「夫とはずっと寝室が別なんです」と水を向けてくれても、「ではセックスもずっとないのですか」となかなか切り出せない。

おそらくこれは私の精神科医としての資質の問題だけではなく、精神医療の構造的な問題なのだろう。つまり、精神医学は「呪術」や
「催眠術」から近代的な医学に"昇格"するときに、あわててこのセックスの問題を切り離してきてしまったのだ。

そんな中、日本ではめずらしい性科学の研究者としてマスコミにもしばしば登場していたキム・ミョンガン氏は、2000年、性に関する悩み相談所「せい」を独力でオープンした。

中でも「夫がセックスしてくれない、したがらない」という女性からのセックスレスの相談に対して、ミョンガン氏の回答は明瞭。「したい ? それなら相手を紹介できるよ」

なんとミョンガン氏は、長らくセックスの関係を持たず、「私に魅力がないから ?」と女性として人間として自信を失いかけている女性たちに、「リハビリのためのセックス」をすすめるのだ。

相手を務めるのは、「せい」の事務局の面接などであらかじめ選ばれたセックス奉仕隊と呼ばれる男性たちだ。

「男は愛情がない相手とでも性欲だけでセックスできるが、女にはそれができない」ということばが、まるで定説のようによく言われる。それに従えば、女性がまったく面識のない男性とのセックスを受け入れるなどというのは不可能な気もする。

「夫のある身なのに」と倫理的な問題に苦しむ人もいるだろう。しかし、ミョンガン氏は「これはリハビリのため、とにかくしたほうがいい」とあくまで明るく女性たちの背中を押すのだ。

本書には、実際に奉仕隊とのセックスを経験した女性たちのインタビューも載っている。やはり女性の側は、数回のセックスで「癒されました!」とはならないようで、罪悪感に苦しんだり「心の交流は得られなかった」と落ち込んだり、奉仕隊の男性に恋愛感情を抱いたりしてしまう人も少なくないようだ。

「抱いてほしいのはやっぱり夫なんだ」と気づく人もいる。とはいえ、いずれにしても女性たちは、セックスレスの苦しみを理解されたこと、とりあえずの一歩を踏み出せたことに、なにがしかの満足と感謝の気持ちを抱いている。

それにしても、そうまでしなければ「誰か助けてほしい」「私は人にこうされたかったんだ」と気づくことさえできないほど、女性たちの心を抑圧しているのは何なのだろう。

また、その硬直した心を、なぜミョンガン氏は解放することができるのだろう。その答えは、在日韓国人として家庭内の激しい男女差別を経験したのが、女性の問題、性の問題に関心を持つきっかけになった、などミョンガン氏自身の経歴について記された部分にありそうだ。

とくにマンガ家の槙村さとる氏とのユニークな生活は、「お互いを尊重した上で男と女として愛し合うこと」という結婚の定義を改めて思い起こさせてくれる。

それでも、女性のための性の奉仕隊、セックス・レスキューに眉をひそめる人はいるだろう。ただ、誰かに抱きしめられることさえなく、どんどん自分を肯定できなくなっている女性たちがかくも存在することは、多くの人に知ってもらいたい。

私もこれからは、診察場面で勇気を出してセックスの話題も取り上げることにしよう。医療者として奉仕隊を紹介するわけにはいかないが、それにかわってできることが、私にもきっとあるはずだから。

香山リカ「勇気を出してセックスの話題を!」
(かやま・りか 精神科医)
波 2006年2月号
新潮社


大橋希『セックス レスキュー』
4-10-300691-9