お花が唄う、愛のうた。
気仙沼大島の路肩に咲くハート。
ココロのある場所に、ハートがあり、花が咲く場所に、愛がある。
渦巻きの中心に、目があるというのなら、
わたしは、たくさんの目の集まる場所に 足を踏み入れ、渦巻きの尾ひれを手繰り寄せながら 大きな渦巻きを作ろうとしているのかもしれない。
先ずは、掴んで離さない握力を持つことと、
引いた先の目がわたしを見てくれたときの、わたしの目が、澄んでいること。
簡単に目は、澱み、曇り、白くなるから、
聞こえる声だけを頼りに歩き出そうとするけれど、
そうなった時は、目を閉じて、もっと息を殺して
聞こえない声を頼りにしたらいいと思う。
次に目を開ける時には、たぶん、瞳の黒が、そこに戻っていると思う。
わたしは、
一回開いた目をもう一回閉じて、
深呼吸しようかな。
そして、新しい声を探る前に、今まで聞いた言葉を 口に出してみようかな。
わたしは言葉で生きている。
だから、いいことが起きるかもしれない。
道端の花がわたしを見ている。
見ていることに、わたしが気づいたからかな。
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