これはある日本人俳優が体験した痛みから立ち上がって大きな成長を遂げる話です。

 

ある日本人俳優がイギリスの大学の演劇科に留学したいと思い、実際にイギリスに行って大学の試験を受けました。

 

当時はまだインターネットの普及がなく、現地の情報は一切入ってこず、演劇学校に留学する日本人は皆無の時代でした。


日本で長く俳優として活動を続け、日本の演技メソッドがイギリスより随分遅れていると知った日本人俳優は無我夢中の思いでイギリスに渡りました。

 

その大学はイギリスでも有名な名門演劇大学の最高峰で、その大学の演劇科は世界的にも有名な俳優を沢山排出していました。

 

その日本人は英語にそこまで自信があるわけではありませんでした。


その上、演劇学校の入学試験の情報が日本ではほとんど得られず、創造力を駆使して自分なりの受験対策でほぼ無防備な状態で飛び込んだのでした。

 

学校に行ってまず度肝を抜かれました。


ハリーポッターに出てくるホグワーツ魔法学校みたいな大きな城の形をした学校で、大きくて分厚い門は日本人俳優を威嚇するようでした。

参加者を見てまた度肝を抜かれました。


集まった人たちは金髪碧眼のスラっとした若々しい10代の美男美女ばかり。

20代後半で東洋人の自分は完全に場違いに感じて既にちでそこいたたまれない気持ちでいました。

 

けれど場違いなのは元より承知。

日本から送り出してくれた仲間のエールを思い出して「心頭を滅却すれば火もまた涼し!」と無念無想の境地で留まりました。

 

試験は1日を通して行われます。


モノローグ(独白の長台詞)、台本の読み合わせ、演技指導、カメラチェックなどなど。

 

試験が始まる前に試験官は「結果受からなかったとしても、今日一日のこの学校での様々な経験を楽しんで今後の人生に活かしてください」と言う素敵な言葉で参加者を奨励しました。

 

そして試験が始まったのですが、日本人俳優は試験のレベルの高さに驚愕したのです。

 

1科目は古典演劇でした。


シェイクスピアのモノローグ(約1~2ページの一人台詞)がランダムに配られ、それを順番に演じるという試験でした。


シェイクスピアは古語を使っていて、現代の英語と全く異なるので外国人にはチンプンカンプン。

 

例えばロミオとジュリエットの「あぁロミオ、あなたはなぜロミオなの?」という有名なセリフ。

現代英語では「Oh Romeo, Why are you Romeo?」となるところですが、古典では「Romeo, Romeo! Wherefore art thou Romeo?」となります。(whereforeは「なぜ・それゆえ」、thouは「そなた」、artはareで、文法も詩なので自由に入れ替わる…。)

日本ではシェイクスピアはほとんど日本語で日本人が演じるし、日本で上映されていない作品も多々あったので、この課題は日本人俳優にとって難関中の難関でした。

 

それを受験者たちは嬉々として「ジュリアスシーザーきた!」「私マクベス夫人のモノローグ大好きなの」「リア王とは渋い選択だ」と周りの人と話し合っているのです。

 

参加者の中には渡されたモノローグの紙を手放して役になりきって演じている人もいます。

 

練習している人々が口々に唱える言葉がもはや呪文のように聞こえます。

 

 

手も足も出ないとはまさにこのこと。


彼らと自分との差を形容してみると、「空を自由に飛ぶことが出来て、かつ伝説の武器を操り大きな敵と戦う勇者」と、「勘違いして迷い込んでしまった村人(モブ)」のくらいに天と地の差でした。

 

日本人は無我夢中で頑張りました。

その時自分がなにをやったかも一切覚えていません。

 

そしてなんとかその場を凌いで、次の会場に向かうその時。

 

試験官から声をかけられました。

 

 

試験官はこう言いました。

 

「君はこの先には進まない方がいい」「これ以上はやらないほうがいい」と。

 

心頭滅却心頭滅却…

 

日本人はもはやマヒ状態だったと言えるでしょう。

 

帰れと言われている。

 

その言葉の意味は理解できた。

 

それでもなんとか…今日のこの一日を自分の糧に出来ないものだろうか。


ええい、恥のかき捨てだ!

 

「私は水準の高い演劇を学び日本に持ち帰りたいのです。今日1日ここで試験を受けるための受講費を払いました。たとえ結果が見えていたとしても最後まで経験させてらえないでしょうか。」と懇願したのです。

 

すると試験官は哀れみを含んだ声で一言こう言いました。

 

「…痛々しい」と。

 

その言葉を聞いて日本人俳優は糸が切れたマリオネットのように体の力が抜けて、その場を去ったのでした。

 

そして宿に帰って悲嘆にくれました。

 

これから自分はどうすればいいのか?

 

選択肢は「やる」か「やらない」かしかなくて…

 

例え日本に帰って「やっぱダメでしたー」ってなっても誰も非難しないに違いない。

また日常に帰ればいいだけ。

 

…けれどそれでいいのか?

 

今帰ったら親への借金のこと、年齢のこと、どう考えてみても再挑戦のチャンスは二度とこない。


人生を変えたくて立ち上がったのにこれで終わっていいのか?

私はまだ何もやっていないのに諦めていいのか???

 

いやだめだ!!

やろう!!

やるしかない!!

悲嘆にくれる時間は長くは続きませんでした。

 

「やる」か「やらない」かを決めただけで

日本人俳優は次にやることがすぐに分かりました。

最初に最高峰を見たお陰で、今自分に必要なものが何なのかがすぐに分かったのです。

 

それからシェイクスピアのモノローグを読み漁り、

流行りや有名な現代劇のモノローグも読み漁り、

舞台も立見席で観続けました。

 

普段からイギリス英語の発音を聴いて練習していたりしてるうちに、演劇学校の受験対策に強い先生と巡り合えて古典演劇の個人指導を受けることも出来ました。

 

そして、とうとう念願かなって別の演劇学校に入ることが出来たのでした。

 

そこはイギリス人だけじゃなくて別の国の西洋人も受け入れている国際色豊かな学校でした。

それでもその学校が東洋人を受け入れたのは日本人俳優がはじめてでした。

 

この学校の試験では自分で選んだモノローグを演じることが出来たので事前に準備をすることが出来たのが日本人俳優にとって大きな勝因となりました。

 

日本人俳優はセリフの最後に死を遂げる役を演じたのですが、試験官の一人は「神風特攻隊のような気迫だ」と言って日本人の不屈の精神をそこにみて驚嘆し、他の試験官はあまりの迫真の演技にそのまま死んでしまうんじゃないかと心配したそうです。


後に彼らは「あんな演技を見せられたんじゃ入学を許可するしかなかった」といっていたそうです、

 

その学校は日本人の熱意とポテンシャルを受け取って入学を許してくれたのでした。

 

日本人にとって学校生活は夢のようでした。

学校は彼を理解し、今必要な学びを与え成長を促してくれる、正に身の丈にあった理想的な学校だったのです。

またウィットに富んだイギリス人教師たちの授業は全て楽しくて興味深く、学友たちと過ごす時間も人生の中で最高のひと時となりました。

 

日本人はその学校で新境地に達し、新たな分野で活躍を始め、英語圏の生徒たちを差し置いて主役の座を射止める経験をするにも至りました。

またこの学校の教師陣の中には例の最高峰のお城の学校を卒業し現役の俳優として活動しながら教壇に立つ教師がいました。


この教師が日本人が最高峰の学校を受けたことを知ると、「あの学校を受けたのか!あそこは泣く子も黙る巨大な魔法使いたちの砦だ!なんて勇気のあるやつだ!…けれど時に人は大きなものに立ち向かわねばならない。それが勝てない敵だったとしてもね。だからその経験はきっと君を大きくしたことだろう。」と日本人を褒めたたえて過去の傷を癒してくれたのでした。


また同じ学校の友人の中にもあの学校を受けた人がいました。

そして試験の時に彼もまた、日本人が体験したのと同じような経験をしている人がいることも分かり、共にお互いの恐怖体験を笑いあうことが出来て、やっと過去の傷は癒えたのです。

 

そうしてやっと・・・

 

日本人は当時のことをたまに振り返ります。

あの「痛々しい」という言葉についてです。

 

最初、イギリス人の試験官は何とかその言葉を使わずに、日本人を傷つけずに諦めさせようとしました。


それでも諦めない日本人のために強い言葉を使うしかありませんでした。

 

痛々しいと言われて

 

場違いなのに恥ずかしげもなくそこにいた自分…このように日本人は受け取っていました。

 

恥ずかしさと悔しさと情けなさと…色んな感情がゴッチャになって苦い思い出となっていました。

 

けれどあの時の悔しさをバネに出来たから、諦めずに乗り越えることが出来ました。

 

あの言葉がなかったら、受験準備をあそこまで必死にすることはなかったので、他の学校に受かることも絶対になかったと断言できます。

 

また、別の視点で考えてみると

 

日本人は自分のことだけ必死に考えていましたが

 

イギリスの中でその学校は特別な位置にありましたから

イギリス人受験生たちの中にはその日のために何年も準備をしてきた人もいたはずです。

 

演劇は空気で対話もしますから、皆の集中力の高まりによって、その時その瞬間にしか味わえない最高の対話がそこで起こるかもしれません。



もしかしたらそこに立ち会うことで得る特別な経験がその後の受験生たちの人生を左右するくらい大きな経験になるのかもしれません。

 

そいういレベルで起きている研ぎ澄まされた集中に

水を差してしまっていたと考えることも出来ます。

 

自分のことに必死なあの時は、大切なことに気づけませんでした。


他者のことを尊重する気持ちがなかったのです。

 

ですからあの時ハッキリ言ってもらったあの言葉が


自分を成長させてくれた言葉として、今では感謝の気持ちが持てるのでした。

 

試験官も言いたくなかったと思います。


けれど言ってくれたことに日本人はただただ感謝しているのです。

 

言われた言葉に傷ついて、相手を恨むのではなくて

 

この日本人のように

例え傷ついてもそれを成長の材料にして乗り越えて

更にその言葉を言ってくれた人に感謝できるようになりたいですね。

 

またこのイギリス人試験官のように人に優しく、

そして時に必要な時にはちゃんと言ってあげられるそういう大人になりたいですね。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

愛と光を込めて

 

長谷川陽子