愛する皆さま、こんにちは^^

 

今日は私の愛するインド聖典「バガヴァッド・ギーター」のお話です。

「バガヴァッド・ギーター」とは、国と争い戦争を起こすことに対する苦悩に苛まれたアルジュナが、クリシュナ神に救いを求めに行った際に、クリシュナ神が化身化した聖バガヴァッドとなりアルジュナに心の道を示す「神の言葉」が書かれた書です。

この「バガヴァッド・ギーター」の中で、人の行為の話が出てきます。

 

私たち人間は、常に活動しており、「行為」を行い続けています。

この行為を行う時人は常に「行為の結果」に成功を求めていて、失敗を嫌います。

 

「行為の結果」にいつも気を取られている私たちは、失敗するんじゃないかと心配したり、不安になったり。

失敗が繰り返されると心が弱い人は苦悩に苛まれ、自己肯定感が下がり、自分への信頼がなくなってしまいます。

 

神は「バガヴァッド・ギーター」の中で「果報を放棄せよ」と言っています。(第2章47節)

 

果報とは結果から得られる報酬・・・

 

つまり結果を手放せと言っているのです。

 

何かの行為をするときに、行為じゃなくて結果を見ているのが私たち。

 

「これをすればこれが得られる」と見返りを考えている時は純粋に行為に専念しているとはいえません。

 

スポーツ選手が試合中に「この相手に勝ったら優勝!」「ここで活躍したら有名になれるかも!」と考えながら試合をしていたら、目の前の行為に集中出来ずにチャンスを見逃すかもしれません。

 

「行為は結果を生むけれど、行為を行う時は結果を望んだり、結果を視野に入れて行為するべきではない。」ということです。

 

行為はカルマです。

 

サンスクリット語では、行為の結果をカルマと言うのではなく、

行為そのものをカルマと言います。

 

 

「バガヴァッド・ギーター」で神は「行いなさい!そしてその成り行きは放棄しなさい」と教えます。

 

自分の行為の結果を欲しがることはラジャス(乱性)です。

利益を得られないから、そもそも行為をしないのはタマス(鈍性)です。

どちらも調和がとれた状態ではありません。

 

行為そのものに集中し、それに伴い結果が後からついてくるとしても結果に執着しないことが、精神をサットヴァ(浄性)に整えます。

 

行為の結果を手放す

 

結果に執着しない

 

これが私たちの心から不安、心配、苦悩を取り除いてくれる神様からのお智慧です。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

インドには魂の高みまで登った優れた聖者が沢山いますが、「バガヴァッド・ギーター」を知らない人はいない。

「バガヴァッド・ギーター」から学ばない人はいない、魂の聖典です。

 

「バガヴァッド・ギーター」に感銘を受けたという聖者や哲人は多く存在します。

世界で有名な人を挙げると、インド独立の父であるマハトマ・ガンディーも「バガヴァッド・ギーター」を座右の書にしていたそうです。

 

興味がわいた方は是非読んでみてくださいね。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

愛と光を込めて

長谷川陽子