今朝、9歳の長男が


「ねぇねぇ、お母さんタイってさ、ボロボロで汚い屋台もあれば、KFCみたいなキレイな店もあって変な国だよね」


と唐突に言ってきました。


その時若い頃のバックパッカーの時のことが思い出されて、その話を息子にしました。


その時私は25歳でオーストラリアのワーキングホリデーを終え、日本に帰る前にアジアをバックパッカーで巡る予定を立てているところでした。


友人のオーストラリア人のフランクが「バックパッカーをやってみたい」「一緒に連れて行って欲しい」と申し出てきたので、一緒に連れ立ってタイ→カンボジアに行くことになりました。


オーストラリアの若者の間で東南アジアをバックパッカーで巡る旅はファッションとなっておりました。


フランクは生まれてから一度もオーストラリアから出たことがなくて、友人たちから聞く東南アジアでの様々な旅の話が彼にはとても魅力的に感じられ、けれど1人で行く勇気もなかったので、みんなが「ヨウコに連れてってもらいなよー!」とフランクを後押ししたのでした。


(当時私はBAR ITALIAというイタリアンでウェイトレスをやっていて、フランクはジェラート工房を持っていて、彼のジェラートを私が働く店で売っていました。フランクのジェラートはシドニーで一番美味しいジェラートとして新聞にも紹介されていました^_^)


それでまずはバンコクのカオサンロードというバックパッカーが滞在する町に行きました。

今じゃカオサンロードは昔と全然変わって道で音楽をガンガンかけて乱痴気騒ぎをする場所に変わってしまったようですが、昔はバックパッカーのための安宿があり、旅人同士が情報交換をする大切な場所でした。


例えば「⚪︎⚪︎行きのバスが突然運行中止した」「⚪︎⚪︎の国境が突然閉鎖された」とかニュースにはならない観光ガイドにも載ってない小さな情報はバックパッカーが一番知っていたりします。


それでカオサンロードに行ったのですが、私的に比較的清潔な安い食堂でもフランクは椅子に座るのも嫌がる感じでした。


「汚い」と「古い」は違いますが、モダンな国から来た人たちは古いとそれだけで汚く感じるものです。


私はフランクに言いました。

「これはまだ序の口。これが無理ならカンボジアは行けないよ。」

 

当時のカンボジアはポルポト政権から解放されたばかりで、復興しつつあるものの知識階級は大量虐殺されてしまって、課題だらけ。

物は仮設のバラック小屋で売られ、食事に使われる野菜も痩せ細った物が使われてて、選り好みができない状況でした。


それでフランクがどうしたかと言うと、大量のキットカットを買ってカンボジアに行きました。


それで朝ごはん、昼ごはん、夜ごはんと毎日キットカットを食べていました。


それを何日か続けたある日、フランクは突然一念発起して「よし!よし!」って自分を奮い立たせて、私と一緒に飯屋のご飯を食べ始めました。


一度食べ始めたら、全然平気になってそのあとは色んなご飯を一緒に食べることが出来ました。


・・・



ここ20年で東南アジアにもグローバライゼーションの波が押し寄せています。


グローバライゼーションとは、従来の国家の垣根を超えて、世界中で資本や情報のやり取りが行われることです。


例えばカンボジアのアンコールワット遺跡があるシェムリアップの村にはその後コンビニエンスストアが出来ました。


便利になるのは良いことですが、例えば中国のノスタルジックな村にスターバックスが出来て景観が壊されるとか、文化が失われるというのはよくある話です。


タイの屋台とKFCの話に戻りますが、まず値段が全然違います。


昔のタイに比べて人々の生活水準が上がってきているので、一般市民も比較的気軽にKFCに足を運べるようになっているのが現在のタイだなと思います。


最後まで読んでくださってありがとうございました。


愛と光を込めて


長谷川陽子