前回は、アダムとイブのイブが知恵の実を食べることで

人類に羞恥心が生まれた話を書きました。

 


実はこの知恵の実を食べることでアダムとイブは
羞恥心以外にもう一つの能力を得ました。

それは何かというと、

 

それは生殖能力。

ある伝承において
神様は最初は人間に生殖能力を与えなかったとされています。

楽園には他の人間達もいましたが

彼らは知恵の実を食べなかったので生殖能力はなくやがて滅びました。

楽園を追い出されたアダムとイブは外の世界で子を作り、
 

それが今の人類の始祖

・・・と、このようにグノーシス派の旧約聖書では解釈されています。


ところで


新約聖書の中では
神は物質肉体を持った存在として描かれていないのに対して

旧約聖書の中では
神は物体として描かれていることが大変興味深いです。

これは何を指し示すのか?

一つの考え方としては

物質領域と高次元領域の境界線が曖昧だったということ。

目に見えない存在にアクセス出来るだけの
意識レベルもしくは純粋性を人間が持っていたから・・・
と考えることも出来ます。

そしてもう一つの考え方としては

神は人の世に存在していたということ。

この2つの話は別々のハナシです。

1つ目の話も大変興味深い話ではあるのですが

今回は2つ目の話を発展させます。


実際に旧約聖書には

人間より大きな体を持った人として神が描写されています。

神が高度な知能を持ち、人より倍以上大きい肉体を持つ。

これが何を指し示すのか。
もうお分かりでしょうか。

地球外生命体の介入が地球には起きていた


と考えることが出来るわけです。

むしろそう考えた方が
全てがしっくりきます。

 

突然、宇宙人説が飛び出すとなんだか次元が違いすぎて

違和感を感じてしまうかもしれませんが

 

もし違和感を感じたなら、

それは物質次元(3次元レベル)の宇宙人を想像したからです。

 

現在、地球外生命体が見つけられていないのはなぜかと言うと

物質次元ではなくもっと高次元の存在だからです。

 

地球は銀河系から見てもまだまだ未発達な惑星とされており

高次元存在たちは物質で作った宇宙船でどれだけ物質宇宙を探索しても見つけることが出来ません。

 

けれど極限の状態に達した宇宙飛行士が宇宙で高次元存在との遭遇し

地球に還って来たときに、思想や信念が様変わりしているというケースが

数多く見られています。

 

話を戻しますが

地球外生命体が地球に介入していたというのは

高次元存在のことです。

 

更に話を戻しますが

このようにしてアダムとイブが得たのは意識と繁栄能力。

 

アダムとイブは楽園を追放されてからも

神からの監視は続きました。

 

それはいまだに続いています。

 

私たちは偶然の産物でありながら

奇跡の産物なのです。

 

この地球生命体の私たちが宇宙にもたらすものは

破壊なのか新たな創造なのか。

 

それは私たち次第なのです。

 

そして私たちは神の掌で遊んでいるようなもの。

 

私たち神の子供は親に背かずに

素直に成長することで

自分たちを生かすことが出来るのです。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

愛と光を込めて

 

長谷川陽子