義母がフィリピンから親の言いつけで
嫁いできた当時のバンコクは
「東洋の水の都」と言われていました。
現在のバンコクは道路が走っていますが
当時のバンコクには道路はほとんどなくて
全てが水路。
人々は車を持っておらず
交通手段は舟。
家には車の駐車場はなくて
船を止める船着場が各家庭にありました。
学校に行く子供たちは
親が手漕ぎ船で大きな船着場まで連れて行きます。
裕福な家の子の家には
モーターボートがありましたが、
全ての家にあったわけじゃないそうです。
私の夫のお祖父さんという人が
一代で財を成した人?
シーロム一帯はお祖父さんの土地だったそうです。
シーロムはバンコクの都心部。
(夫からは自慢っぽく聞こえるから大々的に言うなと言われていますが、私のブログレベルなら大丈夫なはず)
その土地はBTS(電車)を通すということで、政府に安く買い叩かれてしまったそうですが
義母が嫁いできた時は
シーロムに大豪邸があったそうです。
義母は飛行機でフィリピンからバンコクに飛びました。
到着すると、義父母(祖父母)が空港で待っていてくれて
車の中には満杯の蘭の花で歓迎されたそうです。
(どこに座ったんだ?)
そして家に着きました。
厳密には家のずっと前のどこかに着きました。
というのも、
家の前が沼地?湿地?
で車が入れないと。
(因みにこの当時、
タイで車を持っている人はすごく稀だったらしいです。
もう想像が出来ないですよねw)
義父母に初めて会うので
恥ずかしくないように正装で
やって来たわけです。
んで着いたら目の前ドロw
子供の学校田植え行事で
一年に一回泥の中入りますけどね。
当たり前だけれど一張羅では行きたくないw
その時、お義母さんは
花嫁ですから白いドレスだったようです。
それでね、
お義母さんがどう思ったかというと
「さぁロウナ、アドベンチャーの始まりよ!」
って思ったんだって。
それ聞くだけでお義母さんが素敵な人だって
わかりますでしょ^_^
この時代の話は本当に面白いので
ちょっとずつお話ししていきますね^_^
最後まで読んでくださってありがとうございました。
愛と光をこめて
長谷川陽子