義母との共同生活がはじまっています。

実家のバンコクは家族が日中仕事で家にいなくて

義母が一人で寂しいということで

私たちの住むチェンマイで一緒に住むことになりました。

 

お互い仲良くしたいという気持ちが強いのですが

文化も環境も考え方も全く異なる他人同士が一緒にするわけですから大変じゃないわけがありません。

 

家事・炊事・育児は全て私がやっていたので

やり方を変えられたり、物の配置を変えられたりすることに

どうしてもストレスが。。。

 

なにがどうストレスかと言いますと、

要は思考が目まぐるしく働いちゃってストレスなんです。

 

毎日の生活だから、

なるべく自分のペースやリズムの中でやりたいのですが

ペースやリズムがあわないと色々考えることが増えてきます。

 

短期間のことなら我慢するか受け流せばいいけれど

これがずっと続くなら、どこかで整えないと絶対辛い。

 

そこでどういう風にストレスを感じるのか考えてみました。

 

例えば以下のようなことがありました。

 

・・・・・・・・・・・・・

 

お義母さんが眉間にシワを寄せてゴシゴシと床掃除をしていました。

 

私は自分の仕事が終わって、ソファでくつろいでいたんです。

 

その時私の頭の中ではこんなことを考え始めました。

 

「お義母さんがモーレツに掃除をしている。。。」

 

「眉間にしわを寄せて機嫌が悪い?」

「もしかして手伝えって思われてる?」

 

から始まって

 

「ちゃんと掃除しないでこの嫁は全くもうって思ってる?」

「けれど子供も小さくて散らかしまくり。そんなに全部キレイになんてできないよ!」

「義母に働かせて、手伝わないなんてひどい嫁?」

「けれど私も仕事が終わってやっと自分の休息時間なんです!」

「怠けてる嫁って思われてる?」

「自分のペースで掃除したいんですけど。。。」

「わざわざ強い洗剤買ってきて使うのやめてほしいなぁ」

 

みたいなことが頭の中で忙しく働き始めます。

 

これすっっっごい疲れるんです。

 

思考が勝手に動いちゃう、

それで考えを止められないからすごい疲れちゃうんです。

 

最初はこの思考に揺さぶられまくって、

それを義母に伝えるかどうかで悶々として不機嫌になってしまう私がいました。


・・・・・・

 

私はヨガや心のことを教えているので、人間出来ていると思われがちです。

 

最初から人間出来てたらヨガ哲学学んでません。

むしろ人とぶつかることが多くて生きにくいからこそ学んでの今です。

 

何年も精神修行を続けて、かなり心は穏やかになったと思います。

それでもこんな風に心が揺さぶられることがあります。

 

けれどですね、これは気づきのチャンス。

 

私たちが1つステージをクリアすると、また新しいステージが用意される。

一つ壁を乗り越えると、次の壁が用意される。

 

こんな風にして神様は

私たちの魂を成長させようとしてくださる。

 

魂の成長について考えてみた時に

どうしてお義母さんが私の前に立ちはだかって感じるのか?

 

それはそういうモノの見方しかできないからなんです。

 

ということで自分の思考を整理してみます。

 

・・・・・・

事象と思考の洗い出し

 

【事象】

お義母さんが眉間にシワを寄せてゴシゴシと床掃除をしていた。

 

私はやっと自分の仕事が終わって、ソファでくつろいでいた。

 

【POINT】

・お義母さんがゴシゴシ掃除をしていた←事象

・お義母さんの眉間にシワがよっていた←攻撃されているような気持ち

・私はソファでくつろいでいた←事象

・私は自分の仕事がやっと終わった←←自己弁護(正当化)

 

【私の思考】

「お義母さんがモーレツに掃除をしている。」←事象

「眉間にしわを寄せて機嫌が悪い?」←攻撃されているような気持ち

「この家でいつも掃除するの私だけ。掃除の手抜きを責められている気持ち」←攻撃されているような気持ち

「ちゃんと掃除しないでこの嫁は全くもうって思ってる?」←攻撃されているような気持ち

「子供も小さくて散らかしまくり。そんなに全部キレイになんてできない」←正当化のための自己弁護

「義母が働いているんだから嫁として手伝うべき?」←罪悪感

「けれど私も仕事が終わってやっと自分の休息時間」←正当化のための自己弁護

「怠けてる嫁って思われてる?」←罪悪感

「自分のペースで掃除したい」←正当化のための自己弁護

「強い洗剤買ってきて使うのやめてほしい」←考え方の違い

 

「攻撃」も「罪悪感」も「正当化のための自己弁護」も全ておそれです。

 

このように書き出してみると、私がおそれまみれなことに気づきます(笑)

 

そして「事象」はただ起きていることです。

「犬が歩いている」「風が吹いている」ただ起きていることで、そこの良し悪しがない状態です。

 

なので、一つ一つを整理していくとおそれを事象か愛に変えられます。

 

それでは今度はここから私の固定概念にあるおそれを書き出してみます。

 

固定概念から来るおそれの整理

よく働く嫁は良い嫁で、怠け者の嫁はダメな嫁。

義母のいうことを素直に聞く従順な嫁は良い嫁で、自己主張の強い嫁はダメな嫁。

家事が上手な嫁は良い嫁で、掃除が苦手な嫁はダメな嫁。

 

こんな感じ?

自分で言ってて耳が痛いw

 

なるほど!

女性性の持つ集合意識に組み込まれたヤツですね!

 

確かに、良妻賢母は女性性の美しい象徴です。

そういうお母さんに育てられるのは子供にとっても素晴らしいこと。

 

だけれどそれはただの概念

 

※そうでなければいけないって思ったり、

出来ていない自分を責めるおそれが私の中にはあるのです!

 

いいですか?

ここが大事。

 

それはただの概念なので、

そうでなければいけないわけではありません。

 

良妻賢母になれたら素敵だけれど、

そのための努力は必要だし、また理想と現実のギャップもあるものだから

いつも理想通りの自分になれるわけではないという現実を受容することも大切です。

何より出来ない自分を責めてはいけません。

 

それでは今度は

POINTの中にあるおそれの整理をします。

 

【POINTの整理】

 

・お義母さんがゴシゴシ掃除をしていた←事象

・お義母さんの眉間にシワがよっていた←攻撃されているような気持ち

・私はソファでくつろいでいた←事象

・私は自分の仕事がやっと終わった←←自己弁護(正当化)

 

事象は事象だからいいとして。

 

「お義母さんの眉間にシワが寄っている」ことによって起こる攻撃された気持ちですが、

「攻撃されているような気持ち」は勝手に起きています。

 

実際言われたわけでもなんでもありません。

 

「出来ていない自分のおそれの観点」で見ているから

攻撃されていないのに攻撃されているように感じてしまう。

勝手に感じちゃってるんです。

 

ゴシゴシと力仕事していたら眉間にシワくらい寄っても普通です。

 

ですから、

見方を変えれば眉間のシワはおそれではなくて事象に変わります。

 

ただ眉間にシワが寄っているだけ。

別に責められていない。

 

これがPOINTの整理です。

 

POINTの中のおそれがもう一つありましたね。

 

「私は自分の仕事がやっと終わった」と言いたい。

自己弁護して正当化したいし、お義母さんだけ働いてて手伝わないことに罪悪感を感じている。

 

ここで2択することが出来ます。

A 手伝うことによって罪悪感の払拭。

B もしくは思考のカット。

 

私は最初は前者Aを選んでいました。

手伝う方を選べたら気持ちが良いですよね。

心から行えたらおそれは愛に変わります。

 

けれどずっとやってたら本当に疲れてしまいました。

「あ、手伝わなきゃ」「早くやらなきゃ」って気が休まらなくなっちゃったんです。

自分のペースで働けないとリズムを作るのって大変なので疲れます。

 

なので、今は後者Bの思考のカットを選択しています。

自分のペースでやる。

休憩する時は休憩する。

そこに罪悪感を持たない。

って決めたらすごく楽になりました。

 

自分の雑念をカット出来たので、

これもおそれを事象に変えられました。

 

固定概念のおそれの整理POINTの整理がされておそれがなくなると、

根底のおそれがどんどん払拭されていきます。

 

「攻撃されているような気持ち」も「罪悪感」も「正当化のための自己弁護」もいらなくなりました。

 

こんな風に一つ一つを紐解いていくと、

自分の中の固定概念からくるおそれやトラウマを解消していくことが出来るのです。

 

今じゃ、お義母さんが掃除していても

笑顔で「ありがとうございます」って言えるようになりました。

 

でもそのためには、自分の心と向き合わないといけないので

人によっては時間がかかるかもしれません。

 

 

これは魂の成長のためのチャンスの気づきです。

 

ここで大事なのは、

「あぁ嫌だ。超えても超えても障害がやってくる」

なんて絶対に思わないこと。

 

よっしゃ新しいゲームが始まった🔥

攻略してやる~🔥

 

と思うことです。

 

そうしないと向き合いたくなくなるし、

「こんな小さいことでウジウジしてて私って小さい人間」

って自分を責めちゃったりしてこんがらがるから気をつけましょうね。

 

心を整えるお手伝いもしてます^^

 

人は自分のことが一番見えにくい物。

 

そして相手は自分を映す鏡です。

 

わたしはあなた

あなたはわたし  ですハート

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

愛と光を込めて

 

長谷川陽子

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