今回、弟子のオチコがチェンマイに来てくれました。
実に2年半ぶりの再会。
zoomで隔週ペースで顔を合わせているとはいえ、ほんっっとに久しぶりの生身での再会でした。
オチコたった今、Pモックのソンテウで帰りました。
(Pモックは友人でソンテウは乗り合いタクシーのことです。チェンマイに生徒さんが来た時はPモックが専属ドライバーになってどこでも連れて行ってくれるのです)
あっという間の1週間でした。
コロナ禍から2年半、ほとんど人に会うこともないかなりのスローライフだったので、
この1週間の密度の濃さとのギャップには驚くべきものがあります。
オチコは弟子とは言っていますが、実際は霊性修行の同志で同胞です。
長谷川魔法学校を続けて7年、私には霊性の同志が沢山出来ました。
霊性修行の道は孤高の道です。
インナースペースの旅は、スーパーパーソナルへのアクセスです。
英語で言うとカッコいいかなと思って書いてみたけれど、日本語でも言ってみると
「自己の内面に沈潜し自己を超えた超越意識との融合」という、
分かる人にはシビれる言葉ですが、分からん人にはまったく意味不明の言葉になるわけですねw
てな風に、霊性修行と探究は常に同時に行われており、
結局は自分のことなのですが、(自分が見ている世界がすべてだから、自分のモノの見方が歪んでいたら世界も歪む)
仲間がいれば、支え合えるし、指摘もしあえるので、自分では気づけないことに沢山気づけて、それらを効率よくクリアしていければ
通常の人間が1回の人生でクリアする課題(カルマ)を一足飛びに超えていけるわけです。
これは完全に興味の問題です。
やりたいと思うかどうかもまた自分の意志。
もしかしたら、インドやチベットに生まれて占星術で「この子は聖者の星を持っている」と言われて
子供の時から親と引き離されて修行の道に身を置くことが人生となっている人でない限り
現代の、宗教性の希薄な日本人に生まれて
自ら修行の道に進む人は希少と言えるかもしれません。
(宇宙からのワールドオーダーは地球の次元上昇と共に変わってきているので、目覚める準備が出来た人たちが増えているというのも同時にあります)
だからこそ、共に修行する仲間の魂の結びつきもまた深くて強い。
もう一度言いますが、最後は自分。
ですから依存ではありません。(あってはなりません)
どちらかと言うと共生です。
私自身、前世から修行の道を繰り返してきていますが
こんな風に仲間と共に修行出来ることはとてもありがたいことです。
かけがえがないです。
一つの前世で、人里離れたジャングルの中で地球のグリッドを整える結界師をしていたことがあります。
彼の人生はとても孤独でした。
ですから私は「孤独とは」についてよく考えます。
自分は孤独ではないと思っていましたが、
今回、オチコが来てくれて、久しぶりになんの遠慮も無く、
心のままにエネルギーを調和させ、ハートの奥底から喜び泣き指摘をしあい、
ある意味において孤独だったんんだなーって感じました。
勿論、愛する夫がいて、子供たちがいて、大自然の中に守ってくれる家があって
全て持っていて、孤独だとは思っていませんでした。
孤独ではないです。ちゃんと幸せです^^
病んでるから助けてくれと言う必要がないレベルで生きられています。
修行の言葉に「足るを知る」と言う言葉があります。
これは「あったら楽しいけれど無くても幸せ」と言う意味です。
(「やせ我慢なんじゃないの?」と言う人がいたとして、やせ我慢かどうかは、内側の問題なのでここでは関係ありませんw)
ですから、久しぶりの息抜きでした。
本当に楽しくて至福の時間でした。
オチコは弟子で私は先生という立ち位置を取っていますが、実際の両者間のエネルギーにおいては対等です。
私も等しく学びを得る姿勢でい続けており、それが出来る関係性です。
オチコが2年半の時を超えて来てくれてタイに入ってくれました。
それは私の中でタイ全土を包む見えない膜のようなものを破って新風を注ぎ込んでくれたような感覚です。
今、オチコが帰って一人になって涙が溢れております。
分かれは寂しいね。
オチコ来てくれてありがとう。
大好き
今回、オチコに沢山お土産を託して下さったみんなも本当に本当にありがとうございました
(オチコは私へのお土産で20キロのスーツケースがパンパンで、自分の着替えを削らなければならなかったそうです)
頂いたものは大切に大切にチビチビ食べますw
みんな大好き
最後まで読んでくださってありがとうございました。
愛と光を込めて
長谷川陽子