どうも。霊障研究者家のようこそ陽子です。


ようこそ陽子パクリですやーん。


けれど若モンそもそも知らねー。


じゃいっかーw


ってことで、前回に引き続き霊障のお話です。


怖いですねー怖いですねー。(稲川淳二風)


うーん、なんなんでしょうね。


私は昔からエゲツなく視えるわけではなくて中の上くらいな感じでした。(このパラメーターわかりにくくない?言ってる私もわかりませんがw)


何故か昔から、周りにものっすごい視える人が沢山いたんです。


なんかもー、視えるのが当たり前なくらいにそーいう友達がいたので、ある意味慣れ親しんで生きてきましたw


それでねガチで視える人って、全然違うんですよね。


私はそーいう人たちと比べると


(てか、これ書いてたら突然電気が消えて怖いんですけどwww)


霊感あるよーなないよーな感じです。


全くないかと言えばそーではないような経験を子供の頃から少なからずして来ました。


けれど鈍かったんですかね?


あまり深刻に捉えずにここまで来たみたいな感じですか?


知り合いで視えすぎてしまった人は、開きすぎてるってことで、ある霊媒さんに頼んで、閉じてもらったそうなんです。


ちょっとだけ閉じるとか出来ないので完全に閉じたそうなんです。


それでこの霊感っていうのは私たちの日常生活に差し障りがないように見えて、実は結構大切な物だったりもするんです。


要は第六感なんですよね。


なので完全に閉じてしまった彼は視えなくはなったけれど、それはそれで生きていく上で結構大変なそうです。


何がどう大変かって?


要は直感力とか決断力とかがなくなったそうですね。


(けれどどこを歩いても幽霊だらけ見てしまっていた人は道を歩くことも普通に出来ないので、その時点で正常な直感力も決断力も持てないとは言えます。)


私が思うにある種の大胆さや図々しさって結構大事なんです。


幽霊を一番寄せ付けないものって何か知ってますか?


強い「生命力」なんですよね。


例えば、道端で動物が轢かれて死んでるとしますよね。


そういう動物に変に「かわいそう」とか同情しちゃいけないんです。


「動物=可愛い」みたいに思っていると「死んでる=かわいそう」とか思っちゃいがちなんですけど、生と死は生命のサイクルで、そこに「かわいそう」と思うのは主観的なエゴなわけです。


それは死んだ動物に全く関係ない物なのに、変な同情をすることで相手も優しくされて、混乱してついてきてしまうのです。


無駄に優しさ見せると相手のためにならないと言いますか。

 

依存させちゃうんですよね。  


だから「ここはもうあなたがいる場所じゃない。行きなさい。」って思うことが大事なんです。


とにかく死は強い生命力に惹かれます。


けれども本当に生命力が強い人は死に惹かれないのです。


その強い光の前で死は存在できません。


死はこの世では次の転生に向かうべきなのです。


色々話しすぎてまとまりがなくなってまいりましたがw


ところで先ほどの友人が大人になって霊感を取り戻したくて開こうとしたんだけれど、それはそれでまた大変なことだったようです。


なんでわざわざ閉じたのにまた開くの?って思うかもしれませんが、それくらい自分が自分じゃなくなったといいますか。


耳を塞いで目を閉じて生きているような無味無臭の世界になってしまったそうです。


私の場合、そもそも中の上であったおかげで、霊障でそんなに苦労することなく、さらにヨガの行を行って霊障を跳ね除ける力を身につけることが出来ました。(これ言うのも慎重になってはおりますが)


ヨガの行のおかげで怖さを感じずに目に見えない世界と対峙出来ます。


ヨガの行の素晴らしいところは生命力の充実です。


自分が乗っ取られることは絶対的になくなりますし、常に天界からのパワフルなエネルギーのチャージを受け続けられるので、枯渇感がありません。


私たちが地球に生きていて、特に役割を持っていると「ここぞ」と言う瞬間はやってきます。


そういうときにチャージステーションを持っていてチャージングが満タンに出来て、最高最善のパフォーマンスが出来るのが


ヨガの利点です。


ということで、9月からヨガのボディ・エネルギー活性化講座始まります。


参加し方がいいでしょー!!!


最後まで読んでくださってありがとうございました。


愛と光をこめて


長谷川陽子