色んなワークをしている時に、
「見えないんです」「感じられないんです」とおっしゃる方がいます。
本当は見えているし、感じているのですが、
見えていないとっているし、感じていないと思っているという方が正しいです。
この「見る」という話で、こんな経験があります。
随分と前のことですが、郊外の自然の中に遊びに行ったときの話です。
とても澄んでキレイなお水が流れる小川がありました。
水面は光が射してキラキラ輝いていました。
私と友達は小川に裸足で入って、上流に向かって歩いていました。
浅瀬なので底の小石がハッキリと見えました。
尖った石などがあるかもしれないので、下を見ながらゆっくり歩いていました。
その友人が「1匹見えると突然見えるね」という不可思議な言葉を言ったのです。
一匹?魚がいるの?
その時の私には魚は見えていませんでしたが、彼女の目線は彼女自身の足元に向いていたので
私も自分の足元に目を向けなおしてみました。
するとと小さな小さな小魚が1匹見えたのです。
「あれ、魚いたんだ」と思った次の瞬間、
自分の周りが足の踏み場もないくらいの何百匹という小さな魚の群れの真ん中に立っていることに気づいたのです。
こんなに沢山の魚をどうやったら見逃すのか?というくらい水の中は魚でいっぱい。
(魚は底の小石と似たような色をしていました。水が絶えずゆらゆらと揺れ動いてるのも利用して擬態していたんですね。)
何もいないと思って信じて疑いもしなかった所に突然生命の大群が現れた時の衝撃は言葉にならないものがありました。
「見えない」と言っている方は、まさに、このような状態かと思います。
私は魚を見ようとしていなくて、底の小石を見ようとしていましたが、魚を探したらすぐに魚が見えました。
と言う風に、見ようとしているモノが違う可能性があります。
けれど、魚はどういうモノか知っているから探すのは簡単ですが、非物質界の存在は見たことがなければ探すのは難しいとも言えます。
視方を間違っている人は、物質として見ようとしてるように思います。
私の場合は最初から物質界と非物質界を両方同時に見ているので、時々どっちがどっちかわからなくなることもあるのですが、
通常の現代人は物質界だけを見ているので、非物質界への目の向け方が分かりません。
とりあえず言っておくと、焦点は物質界に合わせません。
当たり前のこと過ぎて自分で言ってて笑ってしまいますが、本当にただそれだけです。
あとは、物質次元の物の見方は肉眼を使いますが、
非物質次元の視方は肉眼以外も同時に使います。
肉眼以外とは音や匂いや空気感など他の感覚器も使います。
なので、視るっていうのは見るというより、感じるに近いものが有るわけですね。
そして何より大切なこと、
それは信ずること。
ただ受け入れる。
もうこれに限ります。
この世の法則は「求めるものは得られる」です。
もし、真に見たいと願うならそれは得られます。
けれど「見えない」と言っているうちは決して見えないとも知ってください。
なぜならあなたは自分に「見えない」と伝えているからです。
もしも、真に見たいと望むなら使う言葉は「見たい」もしくは「見える」です。
もしも、真に見たいと望むならまずは信じること。
そしてその存在に熱心に話しかけてみることです。
ピーターパンのお話に出てくる妖精のティンカーベルっていますよね。
ティンカーベルは子供たちの信じる心が彼女を存在させるのです。
あなたの周りにあなたを護る天使や妖精がいたとして、
たとえ見えないからって「見えない」と否定し続けるのは哀しいことだと思いませんか?
見えない人は自分が見えないことに悲しみを感じるかもしれませんが、
「見えない」と断定的な言葉を使うことが相手にどれだけの打撃を与えているかを考えてみましょう。
まぁきっとあなたの守護天使ですから打たれても打たれてもネバーギブアップの不屈の精神の猛者であるに間違いありませんが。
それでもそろそろ自分を加護する存在に素晴らしい言霊のギフトを贈ってあげましょう。
そのギフトは巡り巡ってあなたへのギフトとなるのです。
ところで守護天使はかぐわしい香りが大好きです。
(非物質界の存在は物質は戴けないけれど、香りを戴くんです^^)
例えば「いつも私を護り、導いてくれてありがとう」って言って、アロマキャンドルを焚いたりすると、とても喜びますよ。
まずは信じることから始めましょう。
そしてあなたを護り導く存在との関係性を深めていきましょう
最後まで読んでくださってありがとうございました。
愛と光をこめて
長谷川陽子