表現をするうえで一番大切なことは
真意はどこにあるのか
です。
といいながら
例えばアーティストの表現の場合は、受け取り手にある程度ゆだねられていることってありますよね。
自分が想像していたものを表現した時に、受け取り手が全く違う想像をするということはあります。
何故なら人は自分の世界で生きているからです。
例えば、「蛇苺」と聞いて
「あー懐かしい。子供の時に生えてて食べたわ」という人もいれば
「とんねるずの歌の歌詞に出てきたなー」というくらいの認識の人もいるわけで。
アートは受信者の受け取り方は自由です。
そこに好き嫌いを見出すのも自由です。
ここで私が言う表現とは真理についてなので、
真理をどのように説明するかを考えた時に、色んな喩えを用いて説明します。
その表現方法は受け取り手が真意を受け取るために説明していますから、
好き嫌いが差し挟まれる余地はありません。
ただ、「この人の言い回しが嫌い」という風に線引きされる可能性は多分にあります。
私の場合は、世界の全ての人に伝えようとはしておらず、あくまで自分と集合意識を共有する日本人に向けています。
例えば、ヨガのティーチャーズトレーニングで生徒たちに伝えていることで、
「自分の身の回りの人に伝えているイメージをしてください」
ということを大事にしています。
会話はキャッチボールです。
もし真に伝えたいなら、生きてきた中で自分が行ってきたキャッチボールを思い出すべきです。
「コレを言うとどういう反応が返って来るか?」
それが想像できると、相手に伝える表現方法が見えてきます。
なので「会ったこともないマドンナやレディー・ガガに向けて発信するのはやめてください」
と伝えていますw
確かに彼女たちは世界最大のインフルエンサーですが、いきなりそこから始めるのではなくてって話。
(ウチの息子が鬼滅の刃が好きすぎて、youtubeで観た真剣を使う剣術を習いたいというから、「じゃあまず剣道からだね」って剣道の映像見せたら「こんな防具つけるのは嫌だ」と言うので、「どんな剣術も基本は剣道だ!」と言ってやりましたw万が一間違っていたらご教示くださいw)
万里の道も一理から。
もし、あなたがアーティストだとしたら、鬼才でいいかもしれません。
人に理解されることを大事にするよりも、世界観を貫くことが大事な時もあるかもです。
けれど私たちの場合は、まずは相手に伝わる言葉を学ぶことから始まります。
10人いれば10人ちがう人間なので、言語を使って意識の共有をするって本当に難しい話ともいえます。
けれど、使える言語があるのだから、言語を重ねればいいだけの話でもあります。
共通認識を重ねていけば超次元感覚の共有も可能なのです。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
あいとひかりをこめて
長谷川陽子