前回の夢の話の続きですが、


実は昔、映画のオーディションを受けて映画に出たことがあります。


その時はなんと監督に気に入られて


私のために新たに役を設けてくれたのでした。


(当時、私は某大手プロダクションのお笑い部門で役者をやっていました)


撮影中は何かとよくして頂きました。


それなのに私は何もしませんでした。


何をすればいいかわからなかったんです。


与えられた役を広げることなく、ただ演じてしまったのです。


例えば、あるベテラン俳優さんに「道を歩くシーンがありました。


そのシーンの撮影前、ベテラン俳優さんが公園のゴミ箱をガサガサ漁っているのを見ました。


興味本位で「何してるんですか?」って聞いたら「これ探してた」と見せてくれたのが、缶コーヒー。


そしてその方は、さも今飲み終わりましたと言わんばかりに、缶コーヒーを手にもったまま撮影が始まりました。


いわゆる、そういうやつです。


自分で想像する。


作者の意図を汲みながら、自分で役に命を吹き込む。


さらに、自分の中で思っているだけではなく、視聴者にわかるように表現する。


私は現場の雰囲気に萎縮してしまいました。


与えられた役をキッチリこなそう!とは思っていたけれど、自分の枠から出ようとはしませんでした。


出方がわからないって思ってしまっていました。


それでそのまま映画はクランクアップを迎え、


数ヶ月後、映画の試写会兼お披露目パーティーが行われ、そこにご招待いただき参加しました。


そこで関係各所への挨拶で大忙しの監督と助監督になんとか挨拶すると、助監督が私に個人的に話をして下さいました。


監督も助監督も私のことを面白がって、なんとかイジリたいと言ってくれていたのですが、実際にそれは起こらずでした。


助監督は


「自分から見せてくれないとこちらは何も出来ない」「間違っててもいいから何かしてくれたら、合ってる間違ってると言ってあげられるけれど、何もしなければ何も言ってあげられないんだよ」


と言うようなことをおっしゃりました。


失敗は成功の母といいますが、


私は失敗を恐れて


何もしようとしませんでした。


チャンスを活かして自分から活路を見出そうとせずに、


誰かが与えてくれるのを待っていたのです。


いくらポテンシャルがあっても、何もしなければないのと同じ。


その映画監督は周防組(「シャルウィダンス」や「シコふんじゃった。」などの周防監督作品に必ず出る)役者さんの初監督作品。


映画の世界は狭いので、認められれば他の作品への道も開けます。


チャンスの神様に後ろ髪はないと言いますが、


本当に大きなチャンスを逃したのであろう


忘れられない貴重な思い出です。


経験が人を作る。


私はその経験を心に留めて前に進んでいきます。


最後まで読んでくださってありがとうございました。


愛と光を込めて。


長谷川陽子